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オーエン・ハート(Owen James Hart、1965年5月7日 - 1999年5月23日)は、カナダ・アルバータ州カルガリー出身のプロレスラー。プロレスの名門ハート・ファミリーの出身で、父はスチュ・ハート。12人兄弟の末っ子で、兄にブレット・ハートなどがいる。 == 来歴 == 大学を中退後、1986年5月24日にプロレスラーとしてデビュー。2年後には新日本プロレスに参戦。山田恵一や馳浩らと名勝負を繰り広げ、IWGPジュニアヘビー級王座も獲得している。 1988年にWWF(現・WWE)と契約。ブルー・ブレイザー(The Blue Blazer)という鳥をモチーフとしたスーパーヒーローのギミックを与えられ、マスクマンに扮しての登場であった。同年のレッスルマニア登場以降、一旦WWFを離脱。各地のインディー団体を主戦場とした。 1991年にWWFと再契約。素顔のオーエン・ハートとしてWWFに登場するようになる。以降、1990年代全般に渡ってWWFに定着し、ココ・B・ウェアとのタッグチーム「ハイ・エナジー」、兄たちと共に「ハート4兄弟」としてのサバイバー・シリーズへの登場、ヒール転向後の兄ブレットとの抗争、また義兄のジム・ナイドハートやデイビーボーイ・スミスとのタッグなどで活躍。ハルク・ホーガンの離脱などWWFの有力レスラーが次々とWCWに引き抜かれ、WWFが倒産寸前まで追い込まれた時期は、ブレットやショーン・マイケルズらと共に団体を支えた。また、ハート・ファウンデーションの一員であったが、モントリオール事件以降もWWFに残留した。 1999年に入り、WWFデビュー時のギミックであるブルー・ブレイザーを復活させた。同年5月23日、ミズーリ州カンザスシティで開催されたPPV "オーバー・ジ・エッジ" において、天井から吊るされて入場する予定であったがワイヤが外れて転落、リングに叩きつけられた。この事故が原因で同日死去した。 事故の翌日に放映されたRAWは、オーエンを追悼する内容となり(Raw is Owenとして放送)、多くのレスラーが弔意を示した。また兄のブレットはビンス・マクマホンを責め、事故後もPPV収録を継続したことに対しての批判も集まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オーエン・ハート」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Owen Hart 」があります。 スポンサード リンク
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