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ブレイディー・ラジオ(Brady John Raggio, 1972年9月17日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 球速はあまりなく(140km/h台中盤程度)横手からのスライダーが主体の投球スタイル。アメリカ時代はセントルイス・カージナルスでメジャーの経験もあるが、大半はマイナー生活だった。 に福岡ダイエーホークスに入団。ダイエーは前年にラジオと同じような境遇だったロドニー・ペドラザが入団したが、ペドラザが抑えに定着して日本一に大きく貢献したことで、二匹目のドジョウを狙ったこと、また当時の親会社の経営状況から、年俸が安く済むのが好都合なこともあってラジオの獲得となった。 入団1年目から先発ローテーションに入り、8勝を挙げリーグ優勝に貢献。は開幕から好調であったが、当時左腕に極端に弱かった西武ライオンズ対策として獲得したクリス・ヘイニーとの併用のために二軍落ちした時期もあった。この年は開幕6連勝を飾るなど9勝を挙げる。しかし、2002年はほぼ五分の勝敗は残したものの防御率は5点台半ばに落ち込み、終盤戦は斉藤和巳などの若手起用のために出番がなく、来季の戦力構想から外れ解雇となった。 帰国後は米球界に復帰し、はアリゾナ・ダイヤモンドバックスでメジャーに昇格した。 2005年に現役引退した後、石油会社勤務を経て、AAA球団のリノ・エーシズの職員を勤めている。 日本では好不調の波が激しい欠点があったが、長年外国人の先発投手に泣かされ続けてきたホークスとしては比較的先発で長く活躍した投手で、2001年のシーズン9勝、通算23勝はラジオの退団時点ではともにホークスの福岡移転後の外国人投手の球団記録であった。その後、D.J.ホールトンがシーズンに11勝、4月20日に通算24勝目を挙げ、ラジオの記録を更新している。 頭に血が上りやすい性格であり、2002年には一軍・二軍双方の試合で退場処分を受けた。綴りは違うものの「ラジオ」という名前から、ホークス在籍時にはKBCラジオのジングルにも登場している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブレイディー・ラジオ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Brady Raggio 」があります。 スポンサード リンク
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