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ブレスト合同(ブレストごうどう、、、)とは、1596年にウクライナ東方カトリック教会〔「ウクライナ東方カトリック教会」この訳語・日本語名には様々な紆余曲折があるが、本項では当該教会の成立以降の名を、現在用いられている標準的な呼称に準拠する。〕が成立した、教会の合同を言う。 == 概要 == キリスト教の教会は11世紀には東方正教会とローマ・カトリック教会に分かれていた〔何年を東西教会の分裂の確定した年代とするかには様々な見解がある。詳細は東西教会の分裂を参照されたい。本項では一応、通俗的に分裂の象徴的年代とされている1054年に従って記述した。〕が、ブレスト合同はカトリック国であるポーランド・リトアニア共和国領であったルテニア(現代のベラルーシ・ウクライナ西部・リトアニアにまたがる地域)に限定された形で、ローマ教皇のもとに、分裂した状態の両教会を合同させようとしたものである。 ブレスト(現在はベラルーシ領内)で教会合同会議が開催された結果、コンスタンディヌーポリ総主教の庇護下にあった正教会〔この時、ロシア正教会のモスクワ総主教の管轄はウクライナまでは及んでおらず、ウクライナの正教会を庇護下に置いていたのはコンスタンディヌーポリ総主教庁を中心としたギリシャ系教会であった。ルーシの正教会がこのような言わば分裂した管轄形態を取るに至るまでには、主に15世紀において紆余曲折があった。また、ウクライナ正教会の歴史には一貫して、管轄を巡って複雑な問題がつきまとっている。〕のうち、主に主教などの高位聖職者の主導の下、一定数の教区・教会が東方典礼を維持する事と教会運営に関する高度な自治を条件にローマ教皇の管轄下に入った。 ただし後述するように、ブレスト合同は合同推進派の強引かつ性急に過ぎる手法や、ローマ教皇の管轄の下に入るという形での合同に反対した少なく無い正教会の一団の動向によって不徹底なものに終わり、ウクライナにおける全ての教会がウクライナ東方カトリック教会に再編されたわけではなく、引続き正教会に留まる教会・信徒も少なくなかった。 ウクライナの教会は東方典礼カトリック教会の一員たるウクライナ東方カトリック教会と、コンスタンディヌーポリ総主教庁の庇護下にとどまった正教会とに分裂することとなった。後者は現代のウクライナ正教会に発展する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブレスト合同」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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