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ブレット・アンダーソン(Brett Anderson, 1967年9月29日 - )は、イギリス出身のミュージシャン。1992年にデビューしたロックバンド、スウェードのボーカリストであり、ナルシスティックな歌声と耽美的な音楽性を特徴としている。 2002年にスウェード、2005年にザ・ティアーズ、2007年にソロとしてそれぞれサマーソニックに出演し、2008年と2010年にはソロとして単独来日公演を行うなど、日本でも根強い人気を誇る。 ==来歴== 1967年、イギリスの田舎町であるヘイワーズ・ヒースの労働者階級の家庭に生まれる。実家は貧しく、ブレットは「タマネギの炒め物が子供の頃のご馳走だった」「デヴィッド・ボウイのレコードを聴くことが唯一の贅沢だった」とインタヴューで語っている。子供の頃からロックスターに憧れつつ、スポーツに打ち込む日々を続ける。 1989年、ガールフレンドのジャスティーン・フリッシュマンと友人のマット・オズマンとともにスウェードを結成。後にバーナード・バトラーの加入やジャスティーンの脱退、サイモン・ギルバートの加入などを経て、1992年にシングル「ザ・ドラウナーズ」でデビュー。スウェードは本国でたちまち人気を博した。 デビュー時のスウェードの人気はブレットの存在感によるものも大きく、当時全盛だったニルヴァーナのカート・コバーンやパール・ジャムのエディ・ヴェダーなどのグランジ勢に対して強い嫌悪感を表明したり、尊敬していたはずのモリッシーのことを「内気で、退屈でぜんぜんつまらなかった」と語って関係が悪化したり、「僕は男性経験のないバイセクシャルだ」と発言したり、ジャスティーンとの過去を嫉妬されたデーモン・アルバーンから「ブレットはヘロイン中毒」とののしられるなど、その発言の多くがプレスから注目を浴びた。 しかし、そのように音楽以外の話題で注目を浴びるのに嫌気が差したバーナードとブレットには亀裂が生じ、1994年にバーナードはスウェードを脱退。この最大の危機を新ギタリストのリチャード・オークスらの加入で乗り切ったスウェードは、1990年代を通じて人気バンドとして活躍を続けた。しかしブレットのヘロイン中毒の悪化などによりバンド内の状況は悪化。2002年のアルバム「ニュー・モーニング」の商業的失敗の後、2003年にブレットはスウェードを活動休止することを宣言。 その直後、ブレットはバーナード・バトラーと和解を果たし、2004年に新バンドザ・ティアーズを結成。アルバム『ヒア・カム・ザ・ティアーズ』を発表するも、商業的には成功せず、レーベルを解雇され一年余りで活動休止。 2007年、ノルウェーのソングライターのフレッド・ボールをパートナーに選び、1stアルバム『ブレット・アンダーソン』でソロデビューを飾るも、プレスからはおおむね酷評され商業的にも惨敗した。 2008年、2ndアルバム『ウィルダネス』をライヴのチケット購入者に対してUSBスティックを無料配布するという形をとり、その後ダウンロード販売、自主レーベルからのCD発売が順次なされた〔barks 『ブレット・アンダーソン、新作をUSBスティックで』 〕〔CD Journal 『スウェード~ティアーズのブレット・アンダーソン、2ndソロ作を発表!収録曲の無料DL配信も実施中』 〕が、スウェード以来初めて全英チャートTOP100入りを逃した。 2009年、ブライアン・イーノらとの仕事で知られるレオ・エイブラハムズを共同制作者に迎えて、3rdアルバム『スロー・アタック』をリリース。前2作よりも評価は高かったが、全英チャートでは最高174位と伸び悩んだ。 2010年、スウェードを再結成させている。今後はスウェードとソロ活動と両立していくという。 2011年、4thアルバム『ブラック・レインボウズ』をリリース。ブレットは本作に関して「弛むこと無く、ノイジーで、ダイナミック。エレクトリック・ギター、ベース、ドラム、そしてヴォーカル。フルート奏者もストリングス奏者もいないし、仕掛けもない。あるのは只、情熱だけだ。」と本作をロックバンドのフォーマットへの回帰になると表明している。〔〕全英103位。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブレット・アンダーソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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