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ブレーブスフィールド : ミニ英和和英辞書
ブレーブスフィールド[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ブレーブスフィールド ( リダイレクト:ブレーブス・フィールド ) : ウィキペディア日本語版
ブレーブス・フィールド[ちょうおん]

ブレーブス・フィールド(''Braves Field'')は、アメリカマサチューセッツ州ボストンにかつてあった野球場MLBボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)が1915年のシーズン途中から1952年の閉場まで本拠地にしていた。また、1932年の1年だけアメリカンフットボールにも使用され、NFLボストン・ブレーブス(現ワシントン・レッドスキンズ)が球団設立1年目の本拠地にした。
== 球場の歴史 ==
1900年代初頭に起きた鉄筋コンクリート製球場建設ブームの中で、ブレーブスと同じボストンに本拠地を置くレッドソックスが1912年に新球場フェンウェイ・パークへ移転。一方ブレーブスはまだ木製のサウス・エンド・グラウンズを本拠地にしていたが、ブレーブスオーナーのジェームス・ガフニーはこれを機に新球場建設を決断。1914年にコモンウェルス・アベニュー沿いの土地を確保すると、1915年3月20日に建設を開始。8月18日、開場した。当時としては史上最大の収容能力と広大なフィールドを持つ大球場だった。
ブレーブスが球団名をビーズに変更した1936年、球場名がナショナル・リーグ・パーク(''National League Park'')に改称された。しかしファンの間では、チーム名にちなんでザ・ビー・ハイブ(''The Bee Hive''=ハチの巣)という愛称が定着した。1941年からビーズが球団名をブレーブスに戻したことで、球場名もブレーブス・フィールドに戻った。
ブレーブスの人気はあまり高くなく、ブレーブス・フィールドを本拠地にし始めた1915年から1950年までの1試合平均観客動員は約5,450人だった。これはレッドソックスの同期間の1試合平均観客動員に比べて約2,190人も少ない。特に1941年から1950年にかけての数字はレッドソックスの13,170人に対し、ブレーブスは約9,300人しかなかった。
当時のブレーブスオーナーのルー・ペリーニは状況を打開すべくレッドソックスオーナーのトム・ヨーキーにある提案をする。それはブレーブスがフェンウェイ・パークに移転し、レッドソックスと“同居”することだった。しかしヨーキーは拒絶する。
1953年シーズン開幕直前の3月13日、ブレーブスはボストンから出てウィスコンシン州ミルウォーキーへ移転することを発表した。ブレーブス・フィールドはボストン大学に売却され、一部を残し解体されたのち、ニッカーソン・フィールドとして生まれ変わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブレーブス・フィールド」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Braves Field 」があります。




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