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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブーマー・アサイアソン(Norman Julius Esiason 1961年4月17日-)はニューヨーク州ウエスト・イスリップ出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはQB。左利き。 NFLで1984年から1997年までプレイした。1984年にシンシナティ・ベンガルズに入団した。1988年には最優秀選手に選ばれる活躍を見せてチームを第23回スーパーボウルに導いたがジョー・モンタナの逆転ドライブにより、16-20で敗れた。1993年から1995年はニューヨーク・ジェッツ、1996年はアリゾナ・カージナルス、1997年はシンシナティ・ベンガルズに復帰し現役を引退した。現役引退後はESPN on ABC、HBO、CBSスポーツなどで解説者を行っている。 == 経歴 == ニューヨーク州ウェスト・イスリップで生まれた彼はその後、同州イースト・イスリップで育った。1979年に高校を卒業するとボビー・ロスがヘッドコーチをしていたメリーランド大学に進学した。彼は大学記録を17個塗り替え、パス獲得6,259ヤード、タッチダウンパス42本の記録を残し、1982年、1983年にはオールアメリカンに選抜された。4年次の最後のホームゲームとなった全米3位のノートルダム大学戦では第3Qに2本のTDパスを決めて逆転勝ちし、アトランティック・コースト・カンファレンス優勝を果たした。 1984年のNFLドラフトでは予想に反し2巡目全体38番目という低い指名順位でシンシナティ・ベンガルズに入団した(同年メリーランド大学からはロン・ソルト、ピート・コッホがインディアナポリス・コルツ、ベンガルズから1巡目で指名された。ただしこの年の1巡目に指名されたQBはおらず、アサイアソンがQBとしては最初に指名された。)。彼はUSFLのワシントン・フェデラルズからも指名されている。 雨中の中行われた1984年10月7日のヒューストン・オイラーズ戦で初出場し、自身のTDランなどで13-3と勝利した。1985年9月22日のサンディエゴ・チャージャーズ戦からはチームを第16回スーパーボウルに導いたこともあるエースQBのケン・アンダーソンからポジションを奪った。1980年代後半彼はNFLを代表するQBの1人となり、またパス能力だけでなく機動性もあることを知らしめた。彼はランプレイでもキャリア通算447回で1,598ヤードを獲得し7タッチダウンをあげている。1988年シーズンMVPとなる活躍を見せた彼はチームを2度目のスーパーボウルに導いた。サンフランシスコ・フォーティナイナーズとの対戦となった第23回スーパーボウルではチームは終盤までリードしたが残り34秒でジョー・モンタナからジョン・テイラーへのタッチダウンパスが決まり16-20でチームは敗れた。 1993年に彼はドラフト3巡目指名権とのトレードでニューヨーク・ジェッツに移籍した。1995年10月8日に行われたバッファロー・ビルズ戦ではブルース・スミスにフェイスマスクをつかまれ重傷を負った。 その後フリーエージェントとなった彼は翌1996年にアリゾナ・カージナルスと契約、11月10日のワシントン・レッドスキンズ戦ではパス59回中35回成功、NFL歴代3位となる522ヤードを投げ、オーバータイムの末勝利した。1997年にベンガルズに復帰した彼はジェフ・ブレイクの控えとなったがシーズン中盤から出場した彼はタッチダウン13回に対しわずか2インターセプト、QBレーティングも100を越える活躍を見せた。彼の現役最後のプレイはWRのダーネイ・スコットへの77ヤードのタッチダウンパスであった。 現役14年間で彼は左腕QBとしては通算パス獲得37,920ヤード、通算TDパス247回など多くのNFL記録を残した。1988年、1989年はAFCトップのQBレーティングを残している。 現役引退後、1998年から2000年までABCのマンデーナイトフットボールの解説者となった。2002年からはCBSスポーツの解説者となり、''The NFL Today''で解説行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブーマー・アサイアソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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