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プサントレン(''Pesantren'' )とは、インドネシアにおける寄宿制のイスラーム学校のことである。「ポンドック・プサントレン ''Pondok Pesantren'' 」ともいうが、いずれも特にジャワの伝統的なイスラーム寄宿塾のことを指す。なお、「ポンドック」とはアラビア語の「フンドック(宿)」に由来している。 また、西スマトラの「スラウ」のほか、イスラーム化した東南アジアの各地にも同様の寄宿制の学塾がみられる。 == 来歴 == プサントレンはジャワがイスラーム化した当初(14世紀後半から16世紀後半ごろの時期をさす)から存在したとされる。今永清二によれば、イスラームをジャワに伝えたのはワリ・サンガ(九聖人)と呼ばれるスーフィー聖者で、彼らがプサントレンと呼ばれる学塾で弟子を養成して、そのネットワークと布教活動でジャワの住民をイスラーム化していったという。 「プサントレン」という語は「ヒンドゥーの聖典を知る者」と意味するサンスクリット語の「シャーストリ」に由来し、これはジャワ固有のヒンドゥー・仏教僧院の伝統を引くものである、との文化人類学者C.ギアツの指摘もある。 オランダ領東インド期には、19世紀後半以降、植民地支配を支える原住民官僚(パングレ・プラジャ)を養成するために近代的教育システムが導入されたが(それに続いて医師養成学校や技術者養成学校なども設立された)、それらの教育機関に通うことを許されたのはごく一部の原住民エリートの子弟だけだった。その生徒たちはオランダ語で授業を受けた。 20世紀になって植民地政府が「倫理政策」を模索するようになると、一般庶民向けの初等教育機関も必要とされるようになり、3年制の村落学校(スコラ・デサ)が設置された。そこでは現地語の読み書きと簡単な計算が指導されたが、就学率はきわめて低く、1930年当時では人口1万人あたり300人に満たなかった。 その一方で、庶民の子弟は、男女を問わずクルアーンの初歩的な読誦を学ぶイスラーム系学校(マドラサ)に通っていた。植民地政府はこれを学校として認可することで、学校不足を補なおうとした。そのため、現在、インドネシアでは、一万数千校のプサントレンのほとんどが公教育化しつつも存続している。一方で政治的経緯の異なるタイには南タイを中心に四〇〇以上、マレーシアには一五〇ある同等のものは教育機関というよりは学習生活集団であり、公教育からは距離をおいて改廃を繰り返しつつ今日にいたっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プサントレン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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