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プシェミスル朝()は、ボヘミア(ドイツ語でベーメン、チェコ語ではチェヒ)のチェコ人王朝。1306年に断絶するまで続いた。伝説上の女傑・リブシェの夫で、一族の伝説上の始祖である農夫プシェミスルから名づけられた。ボヘミアの一君主であったが、13世紀にオタカル2世はオーストリア公国を獲得してオーストリア大公の地位に就き、大空位時代に神聖ローマ皇帝として推挙されている(ハプスブルク家に敗れた)。さらに13世紀後半、ポーランド王も兼ねたヴァーツラフ2世の下で最盛期を誇ったが、息子である次王ヴァーツラフ3世が殺害され断絶した。 ==歴代君主一覧== ===ボヘミア公=== *ボジヴォイ1世(''Bořivoj I.'')(850/71年 - 894/5年) *スピチフニェフ1世(''Spytihněv I.'')(894/5年 - 905/15年) *ヴラチスラフ1世(''Vratislav I.'')(905/15年 - 921年) *ヴァーツラフ1世(''Václav I.'')(921年 - 929年) *ボレスラフ1世(''Boleslav I.'')(929年 - 967年) *ボレスラフ2世(''Boleslav II.'')(967年 - 999年) *ボレスラフ3世(''Boleslav III.'')(999年 - 1002年、1003年 - 1004年) *ヴラジヴォイ(''Vladivoj'')(1002年 - 1003年) - ポーランド王ミェシュコ1世子 *ボレスワフ(1世)(''Boleslav I.'')(1003年 - 1004年) - ポーランド王(1025年) *ヤロミール(''Jaromír'')(1004年 - 1012年、1033年 - 1034年) *オルドジフ(''Oldřich'')(1012年 - 1033年) *ブジェチスラフ1世(''Břetislav I.'')(1034 - 1055年) *スピチフニェフ2世(''Spytihněv II.'')(1055年 - 1061年) *ヴラチスラフ2世(''Vratislav II.'')(1061年 - 1085年) - ボヘミア王(1代限り)(1085年 - 1092年) *コンラート1世(''Konrád I.'')(1092年) *ブジェチスラフ2世(''Břetislav II.'')(1092年 - 1100年) *ボジヴォイ2世(''Bořivoj II.'')(1100年 - 1107年、1117年 - 1120年) *スヴァトプルク(''Svatopluk'')(1107年 - 1109年) *ヴラジスラフ1世(''Vladislav I.'')(1109年 - 1117年、1120年 - 1125年) *ソビェスラフ1世(''Soběslav I.'')(1125年 - 1140年) *ヴラジスラフ2世(''Vladislav II.'')(1140年 - 1158年) - ボヘミア王(1158年 - 1173年) *ベドジフ(''Bedřich'')(1173年、1179年 - 1192年) *ソビェスラフ2世(''Soběslav II.'')(1173年 - 1179年) *オタカル1世(''Přemysl Otakar I.'')(1192年 - 1193年、1197年 - 1198年) *インジヒ・ブレチスラフ(''Indrjiv'')(1193年 - 1197年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プシェミスル朝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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