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プブリウス・クィンクティリウス・ウァルス(羅:Publius Quinctilius Varus, 紀元前46年 - 紀元9年9月)は、ローマ帝政初期アウグストゥスの時代の政治家であり、将軍である。アウグストゥスの腹心マルクス・ウィプサニウス・アグリッパの娘ウィプサニア・マルケッラと結婚した。アグリッパとアウグストゥスの信任を得て、紀元前9年ティベリウスとの共同執政官に就任し、その後、アフリカ、シリア総督を務めた。 その後の紀元7年にゲルマニア総督となったが、紀元9年のトイトブルク森の戦いの総司令官として三個ローマ軍団(第17・18・19軍団)を率いて大敗。乱戦の中で自害した。 ==生涯== ウァルスは共和制ローマのクレモナで生まれた。彼の祖父は元老院議員でウァルスは高貴な階級だったが有力ではないクィンクティリウス氏族に属していた。彼の父親は祖父と同名のセクストゥス・クィンクティリウス・ウァルスで反カエサル派の元老院議員であったがローマ内戦は生き残った。その後のカエサルの暗殺に関与していたかどうかは不明であるが彼はフィリッピの戦いの後に自殺した。しかしウァルス自身は父親の政治的忠誠心にもかかわらず、後のアウグストゥスであるオクタウィアヌスの支持者であった。 紀元前14年にアグリッパの娘、ウィプサニア・マルケッラと結婚したことでアウグストゥスとアグリッパの個人的な友人ともなった。紀元前12年にアグリッパが病死した時の葬儀では彼の弔辞を読み上げた。 クルスス・ホノルムを終えたウァルスは、紀元前9年にティベリウスの同僚執政官に就任した。コンスルの任期終了後の紀元前8年にアフリカ総督となりその後シリア総督となる。 紀元7年にゲルマニア総督となり、ライン川のリーメスの3個軍団の指揮を受け持つ。ゲルマニアをローマ領に編入するというアウグストゥスの意向を受けて、敵地の中に兵を進める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プブリウス・クィンクティリウス・ウァルス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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