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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
般若(はんにゃ、,プラジュニャー; ,パンニャー、漢訳音写:斑若、鉢若、般羅若、鉢羅枳嬢など)は、一般には智慧(ちえ)といい、仏教におけるいろいろの修行の結果として得られた「さとり」の智慧をいう。ことに、大乗仏教が起こってからは、般若は大乗仏教の特質を示す意味で用いられ、分別的な「智」としての「若那」(jñāna, ジュニャーナ)と対照される形で、諸法の実相である空と相応する無分別の「慧」として強調されてきた。 同じ悟りの智慧をあらわす遍智(へんち、 परिज्ञा parijñā)と区別される。遍智とは文字通り「あまねく知る」ことで、四諦の道理を無漏(むろ)の智によって知ることである。この遍智を小乗のさとりを表すものとして、大乗の般若と区別するのも、般若を存在の当相をそのままに自覚する実践智と考えるからである。 この般若の意味は、識(しき、,ヴィジュニャーナ;)とも区別される。識とは、いわゆる知識であり、客観的に物の何であるかを分析して知る分析智である。このような知識を克服して、それを実践智に深め、物の真相に体達すること、そのような智をことに般若というのである。たとえば、「生活の智慧」というが生活の知識といわず、「科学の知識」といって科学の智慧といわないようなものである。 == 般若波羅蜜 == 般若を諸法の実相を体得した実践智として、常に悟りへつづく実践の根底にはたらくものとみる時、この般若の智慧こそ、仏教のさとりの本質である「自利利他二利円満」を完成するものとして、「仏母」とよばれるものである。『大智度論』 (44) に次のように説明される。 この意味で、般若は六波羅蜜中の般若波羅蜜(; prajñā)である。布施・持戒・忍辱・精進・禅定などの五波羅蜜の修行によって達せられるのが般若波羅蜜であり、般若波羅蜜の調御により五波羅蜜が達成される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「般若」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Wisdom in Buddhism 」があります。 スポンサード リンク
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