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株式会社プランタン銀座(プランタンぎんざ、英称:''PRINTEMPS GINZA Company, Limited''、仏称:''LE PRINTEMPS GINZA S.A.'')は、東京都中央区銀座三丁目にある日本の百貨店の運営会社。プランタン銀座を運営している。 当項では、プランタンが日本に上陸するきっかけとなったダイエー所有時代も含めて記述する。 == 概要 == === ダイエー経営時代 === 大手スーパーダイエーが百貨店事業に乗り出し、1980年3月に、フランスの百貨店オ・プランタンと提携調印、同年4月には合弁会社「オ・プランタン・ジャポン」を設立。1年後の1981年3月6日に1号店として神戸市の三宮に出店したのが始まりである〔このようなスーパー経営の百貨店店舗の例として、西友の「西武店」、イトーヨーカドーの「ロビンソン百貨店」(現:西武百貨店)、イオンの「ボンベルタ」などが挙げられる。〕。 その後、新さっぽろ・なんばと出店していき、最終的に現存する銀座は1983年に株式会社プランタン銀座を設立、4番目(1984年4月27日)に開業した。 一時期、「オ・プランタン・ジャポン」の完全子会社「プチ・プランタン」を設立し、プランタン以外の場所で婦人服や雑貨を取り扱う店舗「プチ・プランタン」を展開していたが、親会社の経営悪化が響き、1989年にダイエー出資で設立されたロベリアに吸収合併される形で消滅した。 開業当時は華々しかったプランタンも、展開を開始した1980年代初期は銀座を除く3店舗は不調であり、1983年2月期にはアラモアナセンターの投資負担などもあって初の連結ベースで160億円もの赤字を出し、ダイエー内ではPCB企業問題と言われるまで経営悪化に陥った〔経営の足を引っ張ることとなったオ・プランタン(P)・クラウン(C)・ビッグ・エー(B)の略。〕。ダイエーは、地域の運営部門が商品供給と管理業務を行い、テコ入れを図る方針を採用するが不発に終わってしまう。そこで三宮・なんばの2店舗をダイエー直営に、さっぽろをダイエー子会社の北海道ダイエーに移管して合弁会社を清算することで負の流れを食い止めた〔岩淵明男「ダイエー 中内功の物価2分の1革命(オーエス出版社)」P67-70〕〔プランタン銀座は業績が好調だったため、別会社のまま存続した。〕。 この後、ダイエーはプランタンを名乗ったダイエー店舗を何店か出店した(西武百貨店と西友『西武』店の関係に近似)が、すべてダイエーやカテプリに業態転換した(なんばは、カテプリに転換後、閉店)。 2000年3月には、プランタンとの「プランタン」の名前を使用する許諾契約が満了するのに伴い、最後まで現存していた銀座を除く2店舗を「カテプリ」(qualite prix)に名称変更した〔日経流通新聞 2000年1月11日 札幌・大阪のプランタン 店名をカテプリにより〕〔銀座に関しては別の契約を行っているため、継続。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プランタン銀座」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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