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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
プリサイスマシーンは日本の元競走馬である。第51回阪急杯でエイシンドーバーとの同着優勝が有名である。当歳時にセレクトセールで800万円で落札されている。おもな勝ち鞍は2006年スワンステークス、2003年、2004年中日新聞杯、2007年阪急杯。 == 戦績 == 2002年、川崎競馬場でデビューし、この年は5連勝を達成する。 2003年、JRAの萩原清厩舎に転厩となるが、転厩初戦で敗れ連勝がストップした。4連敗した後の是政特別(1000万下)で勝利するも、昇級初戦の麦秋ステークス(1600万下)で敗れて再び降級となる。しかし、駒場特別(1000万下)、オーロラ特別(1000万下)、ながつきステークス(1600万下)を3連勝し一気にオープン馬になった。昇級初戦のペルセウスステークスこそ3着となるが、続くカシオペアステークスでは、エイシンチャンプらを相手に芝レースでの初勝利を挙げ、重賞初挑戦となった第39回中日新聞杯では4番人気で勝利し、重賞初勝利を挙げた。 2004年、この年初戦の中山記念で5着に敗れ、再びダートに路線変更し、その後重賞2走で連続2着。ペルセウスステークスでも2着となって、再び芝の重賞毎日王冠に出走し5着。初のG1挑戦となった第21回マイルチャンピオンシップでは、12番人気ながら5着となり、次走の第39回中日新聞杯では1番人気の支持に応え、2連覇を果たした。 2005年、読売マイラーズカップで7番人気ながら2着となるも、体調不良によりその後放牧に出された。その後久々のダートレースとなった南部杯では、4番人気で4着という結果だった。 2006年、この年はかきつばた記念で2着となった後、第49回スワンステークスでは14番人気の低評価を覆して勝利し、重賞3勝目を挙げた。続くマイルチャンピオンシップでは6着だったが、阪神カップでは2着となった。 2007年、第51回阪急杯では3番人気に支持され、レースではエイシンドーバーと同着優勝となった。重賞では2002年の京成杯でヤマニンセラフィムとローマンエンパイア以来となる同着優勝だった。続く高松宮記念は3着となるが、京王杯スプリングカップでは、1番人気に支持されるも9着という結果に終わった。しかし次走の北海道スプリントカップでは2着と再び好走している。その後は第41回スプリンターズステークスに出走。再び安藤勝己が騎乗してのレースとなったが、内から伸びきれず7着に敗れた。続いては再びダート戦となる第7回JBCスプリントに出走。しかし惜しくも2着に敗れた。JBCスプリント後は再び芝のレースとなる阪神カップに出走するも、10着に敗れた。その後再びダートの兵庫ゴールドトロフィーに出走するが、2着に敗れた。 2008年、ガーネットステークスは8着、続く中山記念でも8着だった。さらに前年3着の高松宮記念に出走するが13着だった。次はかきつばた記念に出走を予定していたが体調が整わないため回避し、放牧に出された。6月27日付でJRA競走馬登録を抹消し、中山競馬場で誘導馬となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プリサイスマシーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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