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プリンス・トンガ : ミニ英和和英辞書
プリンス・トンガ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


プリンス・トンガ ( リダイレクト:キング・ハク ) : ウィキペディア日本語版
キング・ハク

キング・ハクKing Haku)などのリングネームで知られるウリウリ・フィフィタTonga 'Uli'uli Fifita1959年2月3日 - )は、トンガヌクアロファ出身のプロレスラー
大相撲朝日山部屋出身の元力士であり、プロレス転向後は全日本プロレスを経てアメリカWWFWCWで活躍した。
新日本プロレスで活動するタマ・トンガことピート・フィフィタと、WWEに所属していたカマーチョおよび新日本プロレスでのタンガ・ロアことテヴィタ・フィフィタの父親である。
== 来歴 ==
1974年末、トンガ国王の命で16代朝日山親方に連れられて来日し、大相撲朝日山部屋に入門。福ノ島四股名幕下27枚目まで昇進するも、親方死去後に起こった部屋の後継問題のため、1976年9月に廃業の憂き目に遭う(トンガ人力士廃業騒動)〔『THE WRESTLER BEST 1000』P191(1996年、日本スポーツ出版社) 〕。
その後1977年7月に全日本プロレスに入団し、同年12月に渡米〔。テキサス州アマリロザ・ファンクスのもとでトレーニングを積み、翌1978年、アマリロ地区にてプリンス・トンガ(''Prince Tonga'')のリングネームでデビュー〔。アイランダー系のベビーフェイスとしてNWAのローカル・テリトリーを転戦し、テネシーのミッドアメリカ地区では1979年デビッド・シュルツトージョー・ヤマモトのチームを破り、同地区版のNWA世界6人タッグ王座を獲得した。1980年4月には、ハワイにてハンス・シュローダーからNWAハワイ・ヘビー級王座を奪取している。
1980年7月11日、愛知県津島市大会におけるリック・デビッドソン戦で日本マットでのデビューを果たす。以降、1982年の上期まで全日本プロレスの若手選手としてキャリアを積んだ。1983年プエルトリコWWCに参戦し、ヒールキング・トンガ(''King Tonga'')に改名。インベーダー1号ことホセ・ゴンザレスやボブ・スウィータンテリー・ギッブスらとプエルトリコ・ヘビー級王座を争う。その後は北米マットを主戦場とするようになり、1984年10月にはカナダモントリオール地区でディノ・ブラボーからカナディアン・インターナショナル・ヘビー級王座を奪取。アメリカ本土でもフロリダ地区やAWAなど当時の主要テリトリーに出場し、AWAではシーク・アドナン・アル=ケイシー率いる反米軍団に加入してミスター・サイトーマスクド・スーパースターと共闘、サージェント・スロータージェリー・ブラックウェルと抗争を展開した。
1986年ハク(''Haku'')のリングネームでWWFと契約。当初はベビーフェイスとして、トンガ・キッドことタマとのタッグチーム、ジ・アイランダーズ(''The Islanders'')で売り出された。やがてヒールターンし、ボビー・ヒーナンのファミリーに加入してブリティッシュ・ブルドッグスらと抗争。タマの離脱後はシングルプレイヤーとなり、1988年6月にはハーリー・レイスの負傷欠場で空位となっていた「キング」の称号をバトルロイヤルに勝ち抜いて獲得した。以降、キング・ハク(''King Haku'')を名乗り、同年の8月から10月にかけてはハルク・ホーガンとの連戦も行われている〔。
1989年1月のロイヤルランブル1989でレイスを破り正式に「王位」を継承するが、その後ジム・ドゥガンに敗れキングの座から陥落。同年下期からはヒールに転向していたアンドレ・ザ・ジャイアントとのタッグチーム、コロッサル・コネクション(''The Colossal Connection'')で活躍。アックススマッシュデモリッションを相手に、WWF世界タッグ王座を巡る抗争を展開した。
1990年4月には日米レスリングサミットへの参戦で久々に日本に登場。ジャンボ鶴田と組んでカート・ヘニング&リック・マーテルから勝利を収めた。同年下期にアンドレが戦列を離れると、大相撲時代の盟友ザ・バーバリアンを新パートナーにミッドカード戦線で活動。1992年は当時WWFと提携していた日本のSWSを主戦場に、谷津嘉章とナチュラル・パワーズなるチームを結成、天龍源一郎&阿修羅・原龍原砲とタッグ王座を争う。同年秋にWWFを退団し、1993年6月にはWAR経由で新日本プロレスのリングに初登場。8月のG1クライマックスにも来日した。
1994年11月、ミング(''Meng'')の名前でWCWに登場。サングラスに黒スーツ姿で悪徳マネージャーカーネル・ロバート・パーカーボディーガード役を務める。翌1995年には、日本育ちという出自から武道家スタイルのヒールに変身。同年7月のPPVバッシュ・アット・ザ・ビーチ』では、スティングUSヘビー級王座に挑戦した。以降もWCWに定着し、ケビン・サリバンのダンジョン・オブ・ドゥームへの加入や、旧友バーバリアンとのフェイシズ・オブ・フィアー(''The Faces of Fear'')などで活動。フェイシズ・オブ・フィアーでは1996年12月29日開催のスターケードにおいて、ジ・アウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)のWCW世界タッグ王座にも挑戦している。その後はセミレギュラーの立場で単発的な出場を続け、1998年8月10日には当時連勝記録を更新中だったWCW世界ヘビー級王者ゴールドバーグのチャレンジャー兼ジョバーとしてマンデー・ナイトロに登場。WCW末期はハードコア戦線に進出し、2001年1月14日に師匠のテリー・ファンクからWCWハードコア王座を奪取した。
その1週間後の1月21日、WWFのロイヤルランブル2001に出場。以降はWWFに復帰し、ヒールターンしたリキシのタッグパートナーを務めた。2002年3月1日には、横浜アリーナにて開催されたWWF初の単独日本興行『スマックダウン・ツアー・ジャパン』に参加、ダイヤモンド・ダラス・ペイジが保持していたWWFヨーロピアン王座に挑戦した。
WWF離脱後はハーリー・レイスが主宰するWLWなど各地のインディー団体を転戦。2004年5月には新日本プロレスの東京ドーム大会に来日し、天龍源一郎と組んでブルー・ウルフ&ドルゴルスレン・スミヤバザルと対戦した。以後、しばらくセミリタイア状態となるも、2008年よりアファ・アノアイが主宰するWXW(ワールド・エクストリーム・レスリング)にトレーナー兼任で出場し、2009年4月18日にサージェント・ハードコアからWXWハードコア王座を奪取。戴冠後はディラン・ナイトと抗争を展開した。
2012年9月14日、CHIKARAのトリオ・トーナメントであるキング・オブ・トリオに、バーバリアン&ザ・ウォーロードのパワーズ・オブ・ペインと合体したフェイシズ・オブ・ペイン(''The Faces of Pain'')として出場。1回戦でチームROH(マイク・ベネット&ヤング・バックス)と対戦するが敗退、予選失格となった。
2014年11月8日にはWXWにて、息子のテヴィタ・フィフィタ、リッキー・サンタナ、キューバン・アサシン(デビッド・シェラ)と組み、プロフェシー(アレキサンダー・ペイジ、アレックスG、ザ・ビースト、ブライアン・リチャーズ)との8人タッグマッチで勝利を収めた。同月29日、リユニオン・イベント "WrestleCade 2014" にてバーバリアンとのフェイシズ・オブ・フィアーを再結成、スタイナー・ブラザーズリック・スタイナー&スコット・スタイナー)、ロックンロール・エクスプレスリッキー・モートン&ロバート・ギブソン)、トム・プリチャード&ジョージ・サウスといった往年のスーパースター同士によるフェイタル4ウェイ式タッグマッチに出場した。
2016年1月4日、新日本プロレスの「WRESTLE KINGDOM 10」において、ロイヤルランブル方式の1分時間差バトルロイヤルである18人参加のニュージャパンランボーに、BULLET CLUBのシャツを着て15番目の選手として登場。永田裕志がエプロン越しに小島聡スリーパーホールドをかけているところを、背後からのタックルで永田をリング下に落として退場させ、直後に小島をも投げ捨てる活躍を見せたが、天山広吉アナコンダバイスに屈して10番目の失格となった。試合後のインタビューでは、新日本プロレスに戻れた喜びと引退した天龍源一郎への惜別のコメントを伝えた〔。翌5日の「NEW YEAR DASH!!」にもBULLET CLUBのメンバーとして参戦した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「キング・ハク」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tonga Fifita 」があります。




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