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煉獄(れんごく、)とは、カトリック教会の教義で、この世のいのちの終わりと天国との間に多くの人が経ると教えられる清めの期間〔『カトリック教会の教え』(159頁)、カトリック中央協議会 ISBN 9784877501068〕。『カトリック教会のカテキズム』では、「神の恵みと神との親しい交わりとを保ったまま死んで、永遠の救いは保証されているものの、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るように浄化(清め)の苦しみを受ける人々の状態」と説明する〔『カトリック教会のカテキズム』1030節 (日本語版309頁 - 310頁)、カトリック中央協議会 ISBN 9784877501013〕〔『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』(124頁)、カトリック中央協議会 ISBN 9784877501532〕。 正教会やプロテスタントなどキリスト教の他の教派では、後述するように煉獄の存在を認めていない。 == 概説 == 煉獄は、天国には行けなかったが地獄にも墜ちなかった人の行く中間的なところであり〔フェデリコ・バルバロ 『聖書』「マカバイの書下」第12章、註46〕、苦罰によって罪を清められた後、天国に入るとされる。現行のカトリック教会の教義では、天国は「最高の、そして最終的な幸福の状態〔『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』(123頁)〕」、地獄は「神から永遠に離れ、永遠の責め苦を受ける状態〔『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』(125頁)〕」と定義されているが、「天国の本質が神との一致にあるとすれば、それは当然のことだが、人間は必ずしも終始一貫、神に沿って生きているとはいえず、罪を犯すこともあり、そのため死後に神と一致しようとする際には、自分の内にある神と異質なものは清められることになる。これが煉獄である〔」と説明されている。 カトリック教会では、少なくとも2世紀以降の教父の文章などに散見される聖伝・教理として受け継がれ〔アロイジオ・デルコル(神父)『死者のための祈り -聖トン・ボスコの教え-』世のひかり社、p.18〕〔里脇浅次郎 『カトリックの終末論』 pp.62-63 聖母文庫 ISBN 9784882161073〕〔南山大学監修『第2バチカン公会議公文書全集』教会憲章50、p.88、註152には、ローマのカタコンブにある墓碑には、そうした痕跡が散見される、としている〕、旧約聖書(第二正典)の『第二マカバイ記』の記述も根拠になるとして、フィレンツェ公会議(1431年 - 1443年)とトリエント公会議(1543年 - 1563年)で公式な教義として再確認された〔『カトリック教会のカテキズム』1031節 (日本語版310頁)〕。このような経緯もあり、教会の東西分裂以前にカトリック教会と分かれた正教会では、煉獄を認めていない〔正教会とは (日本正教会の公式サイトのページ)〕〔§質問§ (名古屋ハリストス正教会のページ)〕。また、プロテスタントでは、マルティン・ルターは当初、煉獄の存在を認めていたが、後にマカバイ記を否認したことから他の改革者たちと同じく煉獄を否定するようになった〔里脇浅次郎 『カトリックの終末論』 p.63〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「煉獄」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Purgatory 」があります。 スポンサード リンク
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