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紺青(こんじょう)とは、鉄のシアノ錯体に過剰量の鉄イオンを加えることで、濃青色の沈殿として得られる顔料である。日本古来の天然顔料である岩紺青と区別するために花紺青と呼ぶことがある。ただし一般的には花紺青とはスマルトの別称である。 Color Index Generic NameはPigment Blue 27である。この顔料に由来する色名としての紺青(プルシアンブルー)が存在する。 製法などにより、アイロンブルー (iron blue)、プルシアンブルー (Prussian blue)、ベルリンブルー (Berlin blue)、ターンブルブルー (Turnbull's blue)、ミロリーブルー (Milori blue)、チャイニーズブルー (Chinese blue)〔チャイナブルーとは別色〕、パリブルー (paris blue)、など数々の異名がある。日本では、ベルリン藍がなまってベロ藍と呼ばれた。 == 歴史 == 1704年にベルリンにおいて顔料の製造を行っていたによって偶然発見されたとされている。当時は安価な青色顔料「アズライト」はイタリア・ヴェネツィアを通して輸入されていたため、イタリアより北のドイツなどの国では他に青色顔料が存在しなかったため、それ以前に使われていた高価なアフガニスタン産のラピスラズリ製顔料「ウルトラマリン」(フェルメールやレンブラントの時代までは主要な顔料だった)をすぐに駆逐し、陶磁器に彩色するためにも広く使用されるようになった。その後、彼の弟子によってパリでも製造されるようになったが、製造方法は秘密とされていた。 1726年にイギリスのがこの顔料が草木の灰とウシの血液から製造できることを発表し、製造方法が広く知られるようになった。 日本では平賀源内が『物類品隲』(1763年)に紹介した。伊藤若冲が『動植綵絵』の「群漁図(鯛)」(1765年から1766年頃)のルリハタを描くのに用いたのが確認されている最初の使用例である。その後、1826年頃から清国商人がイギリスから輸入した余剰を日本へ向けて大量に輸出・転売したために急速に広まった。なお、葛飾北斎が1831年に描いた「富嶽三十六景」において紺青を用いて描いた濃青が評判になって全国に広まったとする俗説が存在するが、実際には大量輸入による値段下落をきっかけに流行となった紺青の絵具を北斎も利用したのが実情であると見られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紺青」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Prussian blue 」があります。 スポンサード リンク
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