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プロイセン邦有鉄道(プロイセンほうゆうてつどう、)は、プロイセン王国が所有し運営していたプロイセンの国鉄である。日本語ではプロイセン官有鉄道、プロイセン国鉄などとも呼ばれる。プロイセンの邦有鉄道には独立した鉄道組織はなく、各鉄道管理組織が当初通商省の管轄下に置かれ、後にはそこから分割された公共事業省の管轄下に置かれていた。 ドイツでは、1871年にプロイセン王国・バイエルン王国・ザクセン王国・バーデン大公国・ヴュルテンベルクなどのドイツ語圏の多くの領邦からドイツ帝国が成立したが、それ以前に多くの領邦は独自に鉄道を有していた。各領邦の鉄道は、次第に運営上の協力を深めてはいったが、ドイツ帝国成立後も第一次世界大戦後までそれぞれに独立したまま運営された。 == 概要 == プロイセンで最初の鉄道は、1838年に開業したベルリン-ポツダム鉄道(Berlin-Potsdamer Eisenbahn、後にマクデブルクまで開通してベルリン-ポツダム-マクデブルク鉄道Berlin-Potsdam-Magdeburger Eisenbahnとなる)で、これは私鉄であった。この鉄道は"Stammbahn"(幹線という意味)と呼ばれていた。プロイセン政府は1850年に初めて、王立ヴェストファーレン鉄道 (Königlich-Westfälische Eisenbahn-Gesellschaft) とプロイセン東部鉄道 (Preußische Ostbahn) に出資し、1875年にはプロイセン北部鉄道 (Preußische Nordbahn) と王立プロイセン軍事鉄道 (Königlich Preußische Militär-Eisenbahn) にも出資した。また大規模な鉄道構造物にも資金を出していた。 1866年の普墺戦争後、いくつかの私鉄が財務支援、買収、合併などによりプロイセン管理下に置かれた。1880年からは財政が好調であったために、1888年までの間に大規模な国有化が行われ、ほとんどの私鉄が買収された。 各鉄道はそれぞれ独立して運営され、独自に鉄道車両を開発し、運営組織も自身で決定していた。この際立った独立性は、プロイセンの鉄道網の発展状況にも現れており、1893年のベルリンの都市計画を見ても分かる。そこには、1882年以来東部鉄道のベルリン側のターミナル駅であったシュレージエン駅があり、そこから数百メートルほどの近さにあるがしかし別々にベルリン王立鉄道局中央工場と、東部鉄道のブロンベルク王立鉄道局中央工場が存在していた。 第一次世界大戦終結時点で、プロイセンの鉄道網の総延長は約37,500 kmに達していた。プロイセン邦有鉄道の歴史は、1920年にドイツ国営鉄道が各邦有鉄道を合併したことで終わった。 王立プロイセン鉄道管理局 (Königlich Preußische Eisenbahn-Verwaltung) という組織があったと思われていることもあるが、実際にはこのような名前の組織は存在したことがなかった。独立性の高い各鉄道を全体として指すときには単に邦有鉄道管理局と呼ばれていた。これは、ケルンの鉄道局が公式に作成したKPEVという略称入りのロゴマークが他の鉄道局にも広まって使われたために生じた誤解であるが、博物館などでプロイセン邦有鉄道の車両を修復した際にもこのロゴが使われることがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プロイセン邦有鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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