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プロホロフカの戦いとは第二次世界大戦の東部戦線(独ソ戦)においてドイツ国防軍第4装甲軍とソビエト赤軍第5親衛装甲軍との間に行われた戦いであり、戦車同士による激しい戦闘が行われた。 1943年7月5日、ドイツ国防軍最高司令部はツィタデレ作戦を発動させた。ドイツ軍の戦略目的はクルスクに形成されたソビエト赤軍突出部を押し返すことであった。この作戦ではドイツ軍は5個軍でクルスクのソビエト赤軍突出部を両側から挟撃、撃破することになっており、これが成功すれば、ドイツ軍は戦略的主導権を奪い返すこととなるはずであった。 ソビエト赤軍最高司令部は、ドイツのこのような攻撃を予想しており、戦線前面において準備を整えていた。ソビエト赤軍司令官ゲオルギー・ジューコフはソビエト赤軍が防御を行い、ドイツ軍を疲弊させることが大事であるとヨシフ・スターリンに説明、作戦の許可を得ていた。ドイツ軍がこの攻勢で疲弊した時、ソビエト赤軍は予備戦力を投入し、ドイツ軍を撃破することになっていた。 クルスクの戦い後、ドイツ軍は北部のオリョールで停止していたが、南部のドイツ国防軍、武装SSはより深く進撃しており、プロホロフカまで接近していた。そのため、ソビエト赤軍は予備戦力を投入せざるを得ず、1943年7月に行われた装甲部隊同士の激突は、歴史上、もっとも大きな戦車戦の1つとなった。 戦闘前クルスクに形成されたソビエト赤軍突出部はドイツ軍にとって危険であった。戦闘の結果については議論があるが、ドイツ軍は戦略的目的を果たすことはできず、いくらかの局地的勝利を得るに留まったとの判断が大勢を占める。一方、ソビエト赤軍も防衛に成功してドイツ軍を押し戻したとはいえ、ドイツ軍防衛線を突破するには至らなかった。両軍ともこの戦闘により多大な損害を被った。ソビエト赤軍の損害は非常に大きかったが、人員面はもとより、米英の援助によって軍需物資面でもより多くの蓄積があったので、この戦い以降は東部戦線での主導権を握ることとなった。逆にドイツ軍はこれ以降完全に守勢に回り、頽勢を挽回することはなかった。 == 背景 == 1942年から1943年にかけての冬、ドイツ第6軍はスターリングラードの戦いで壊滅した。ソビエト赤軍によるウラヌス作戦、小土星作戦は南方軍集団を脅かし、それらが成功したならば、ドイツ軍には崩壊の危機が迫っていた。これらの作戦で、ソビエト赤軍は約70,000の犠牲者を出したが、コーカサスはソビエト赤軍の手中に落ちた。 スターリンはロストフ・ナ・ドヌまで退却したドイツ南方軍集団を包囲すること命令し、ソビエト赤軍は進撃したが、これには無理が生じていた。そこでドイツ軍のエーリッヒ・フォン・マンシュタインは後に第三次ハリコフ攻防戦と呼ばれる反撃を開始、この戦いでソビエト赤軍は第二次ハリコフ攻防戦を再現することになり、ドイツ軍はソビエト赤軍の側面から攻撃、これを撃破した。1943年3月14日、ドイツ軍はハリコフを奪還、ソビエト赤軍をドン川北へ押し戻すこととなり、ソビエト赤軍防衛線に南北150マイルに及んで進出した。ドイツ軍によれば、この戦いでソビエト赤軍23,000人が戦死、9,000人を捕らえたとし、ソビエト赤軍は戦死者、捕虜約45,000と発表した。 ドイツ軍はクルスク南方のベルゴロドを奪還したが、クルスクは依然、ソビエト赤軍が保持していた。ドイツ軍はハリコフからさらに進撃を試みたが、ソビエト赤軍の激しい抵抗に会い、進撃速度は鈍くなった。そして戦闘は膠着状態と化し、クルスクにソビエト赤軍突出部が形成されることとなった。そこでアドルフ・ヒトラーと国防軍最高司令部はソビエト赤軍を撃破し、戦略的資源を消耗させるためにクルスクの突出部を攻撃することを決定した。この作戦において、ドイツ軍は東部戦線におけるイニシアティブを取り戻そうと考えていた。 一方、ソビエト赤軍情報部は夏季にクルスクの突出部でドイツ軍の大攻勢が始まることをすでに掴んでいた。このため、ソビエト赤軍は深さ100キロに渡って防御陣地を形成することとなり、約2,000キロの戦線に600 - 700キロの深さで40個の複合軍、5個戦車軍を配置した。ソビエト赤軍最高司令部は強化した防衛線を複数配置し、戦闘に応じてこれを後退させてドイツ軍を疲弊させる戦術を決定、それらには武器を複合化させた部隊が配置、さらにドイツ軍の攻撃が弱まった時、これを攻撃する装甲部隊を配置した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プロホロフカの戦い」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Prokhorovka 」があります。 スポンサード リンク
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