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プロンスク公国 : ミニ英和和英辞書
プロンスク公国[ぷろんすくこうこく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
公国 : [こうこく]
 【名詞】 1. dukedom 2. duchy 3. principality
: [くに]
 【名詞】 1. country 

プロンスク公国 : ウィキペディア日本語版
プロンスク公国[ぷろんすくこうこく]

プロンスク公国()は12世紀 - 14世紀のルーシの分領公国である。初めムーロム公国に、後にリャザン公国に属した。首都はプロンスクにあった。
== 歴史 ==
初代のプロンスク公ムーロム公ヤロスラフの子・ロスチスラフ(プロンスク公在位:1129年 - 1143年)だった。初めはプロンスクはムーロム公国領であったが、リャザン公ウラジーミルの子孫がプロンスクに根を降ろし、リャザン公グレプに従属するようになった。しかしグレプの死後、1180年には、グレプの子のロマン(ru)ウラジーミル大公フセヴォロドの圧力によって、弟たちへのプロンスクの割譲を余儀なくされた。
1217年、上記のグレプの孫のグレプイサドィ諸公会議を開催し、プロンスク公国を含むリャザン公国領を手中に収めようと画策したが、試みは失敗し、リャザンとプロンスクの公位にはグレプのおじで政敵関係にあったイーゴリの子たちに継承された。
1237年モンゴルのルーシ侵攻によってリャザンの公たちの多くは死亡し、プロンスク公国も破壊された。しかし1270年より、ヤロスラフ(ru)の治世下において、プロンスクは再び公国の首都となった。
1339年、リャザン公イヴァン(ru)ジョチ・ウルスから独立し、大公(ヴェリーキー・クニャージ)としての特権を得ると〔Вернадский Г. В.Монголы и Русь 〕、プロンスク公アレクサンドルを殺害した。その一方で、アレクサンドルの孫のウラジーミル(ru)の治世期には、プロンスクの公もまた大公の称号を帯びるようになり、ウラジーミルとその子のイヴァン(ru)は一時的にリャザン公位をも有した。また、プロンスク公国軍は1365年のシシェヴスク森の会戦(ru)1378年のヴォジャ川の戦い(ru)において、他のルーシ諸公国と連合してジョチ・ウルス軍と戦い、勝利している。
1430年モスクワ大公国においてゾフィー(ソフィア)(ru)が摂政となっていた時期に、プロンスク公イヴァン(ru)リトアニア大公ヴィータウタス(ヴィトフト)を呼び寄せている。
1453年から1483年の間に、プロンスク公国はリャザン公国に併合された。また、16世紀の年代記には、プロンスク公はモスクワ大公に仕える公として言及されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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