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プロ十傑戦 : ミニ英和和英辞書
プロ十傑戦[ぷろじっけつせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
: [けつ]
 【名詞】 1. excellence 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

プロ十傑戦 : ウィキペディア日本語版
プロ十傑戦[ぷろじっけつせん]
プロ十傑戦(ぷろじっけつせん)は、囲碁棋戦で、日本棋院関西棋院の棋士が参加した。1964年から1975年までの12期行われた。優勝者から第10位まで順位を付けることが特徴。アマ十傑戦との入賞同士によるアマ・プロ対抗戦を行い、人気を集めた。
*主催 朝日新聞
==経緯==
朝日新聞は読売新聞名人戦創設により、大手合と最高位決定戦のスポンサーを下り、1961年からアマチュア棋戦として朝日アマ囲碁十傑戦、また三強リーグ戦を始めとして、各種選抜棋戦、プロ対アマの相談碁、アマ十傑戦成績優秀者を含めた日中交流戦など外国棋士との交流戦を実施した。1964年に再度プロ棋戦を開始することとなり、プロ十傑戦を創設した。1968年からはプロ十傑とアマ十傑の対抗戦を開始する。
1968年に三段で出場した武宮正樹は、強豪を押し退けて8位入賞、翌年も5位入賞し、「十傑戦ボーイ」と呼ばれた。1975年に趙治勲は18歳で優勝し、当時の棋戦優勝の最年少記録となる。1971年には女流の木谷禮子が入賞するなど、話題を提供した。
1976年から朝日新聞は、主催棋戦を名人戦に移行し、プロ十傑戦は終了する。アマプロ対抗戦は、1976年は名人及び名人戦リーグ9人の計10名がプロ側で出場、翌年からはプロ選抜棋士が出場し、1982年までで終了する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「プロ十傑戦」の詳細全文を読む




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