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プントランド・ソマリランド紛争(プントランド・ソマリランドふんそう、英: Puntland–Somaliland dispute)は、内戦状態にあるソマリア内の独立地域、ソマリランドとプントランドの間の戦争。争われたのは両国の間にあるスール、サナーグ、アイン(合わせてSSC地域)。 == 背景 == ソマリアはアジアからインド洋を通ってアフリカに向かう場合のアフリカの入り口に当たるため、古くから交易の中継地として栄えていた。この地域にはソマリ族が住んでおり、ソマリ族は今のソマリアだけでなく、エチオピア東部とケニア東部を含む広い範囲に分布していた。19世紀、この要地にヨーロッパ列強が進出し、1887年にイギリスが現在のソマリランドとSSC地域に当たる地域を保護領とし、続く1888年にはケニアを支配した。さらに1889年にはイタリアが現在のソマリア南部を保護領とし〔21世紀研究会『新・民族の世界地図』、文春新書、2006年、ISBN 4-16-660530-5〕、1936年にはエチオピアがイタリアの支配下となった。その後1941年にエチオピアがイタリアの支配を逃れ、1960年にソマリアが独立、1963年にケニアが独立した。 1969年、クーデターでソマリアを支配したバーレは大ソマリア主義を唱えて本来のソマリ族の居住地域の回復を目指し、1977年に米ソ冷戦の代理の形でエチオピアと戦争をした(オガデン戦争)。ソマリアはこの戦争に敗れ、その後旱魃に襲われ、さらにはもともとソマリアには氏族同士の対立があったため、1980年代にソマリア内戦が勃発する。その後の1991年、北部のソマリランドが国際的に未承認ではあるものの安定地域として独立、次いで1998年にプントランドが事実上独立した。 ソマリランドはソマリアからの完全独立を主張しているが、プントランドはソマリア国内が安定すれば最終的にはソマリアの一地域になることを主張しているという立場の違いがある。この紛争が起こった当時、ソマリア暫定連邦政府の大統領はプントランドの前大統領アブドゥラヒ・ユスフであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プントランド・ソマリランド紛争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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