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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
プンルアン・ソー・シンユー(Pungluang Sor Singyu、男性、1988年4月16日 - )は、タイのプロボクサー、元ムエタイ選手。ウタイターニー県出身。第18代・第21代WBO世界バンタム級王者。バンタム級離れのパワーを持ち、タフを兼ね備える選手。 ソンチャイ・ラタナスバン(Songchai Ratanasuban)が会長を務めるワンソンチャイ・ボクシング・プロモーション所属。 プロモーターはソンチャイ・ラタナスバン会長の息子であるシラポップ・ラタナスバン(Siraphop Ratanasuban)が務めている。 == 来歴 == 両親はサトウキビとジャガイモの農家だったが、干ばつの影響でラーメン屋に転職する。12歳の時に家計を助けるためムエタイの試合に出場、ムエタイで50戦程試合を経験してボクシングへ転向した〔。 サーマート・パヤクァルンが憧れの存在。 2004年9月27日、プロボクシングデビュー。 2006年7月27日、ブライアン・ビセラとWBCユース・世界バンタム級王座決定戦を行い初回TKO勝ち。WBC世界バンタム級ユース王座の獲得に成功した。 その後5度防衛するが、2009年5月9日、ベルギーに乗り込み、無敗のシュテファーヌ・ジャモエと無敗同士の対決を行い、打ちに行くも、ジャモエの技巧に裁かれ1-2の僅差判定負け。初黒星を喫し、6度目の防衛に失敗し王座から陥落した。 2009年10月31日、バンコクにて、フリオ・メエリンとWBOアジア太平洋バンタム級ユース王座を賭け対戦し、初回KO勝ちで王座獲得に成功。その後年齢制限で返上するまで6度防衛した。 2011年10月11日、ネイサン・ボルシオとWBOオリエンタルバンタム級暫定王座を賭け対戦し、2回TKO勝ちで王座獲得に成功。その後3度防衛した。 2012年10月20日、ホルヘ・アルセの王座返上に伴うWBO世界バンタム級王座決定戦でWBO世界同級1位アレックス・ジョン・バナルと対戦。この試合はフィリピンメトロ・マニラの都市パサイのSMモール・オブ・アジア内にあるモール・オブ・アジア・アリーナで行われ、ノニト・ドネアも観戦に訪れていた。前評判はホームのバナル有利の評価だったが、試合は終始プンルアンペースで試合が進み、9回にダウンを奪い起き上がったバナルをダメージありと判断したレフェリーがストップをコールし、TKO勝ち。王座獲得に成功〔プンルアンKO戴冠 WBOバンタム級決定戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年10月21日〕。タイのプロボクサーではラタナチャイ・ソーウォラピン以来WBOの世界王者が誕生。ウィラポン・ナコンルアンプロモーション以来、7年振りのバンタム級世界王者が誕生した。 2013年3月2日、ナミビアの首都ウィントフックにて、パウルス・アムブンダと指名試合を行うも、12回0-3(2者が112-116、113-115)の判定負けに喫し初防衛に失敗し王座からも陥落した。 2013年5月10日、ナコーンサワン県にて、再起戦としてフレディレックス・ロドリゲス(フィリピン)とWBOインターナショナルバンタム級王座決定戦を行い、2回KO勝ちで再起に成功した。 2014年7月12日、MGMグランド・ガーデン・アリーナがアメリカデビュー戦。当初は同年5月10日に予定されていた興行主の現地プロモーターの都合で延期となったWBO世界バンタム級王者亀田和毅との指名試合に臨み〔【BOX】和毅、V2戦7月に延期へ プロモーターの都合 スポーツ報知 2014年4月27日〕〔異例事態!亀田和毅の世界戦テレビ中継なし 東京スポーツ 2014年6月19日〕、4回には右のカウンターで王者をぐらつかせるが、7回に左ボディでキャリア初ダウンを奪われ、苦痛で悶絶しているのを見たレフェリーがカウントを途中でストップ。7回1分35秒KO負けを喫し1年4ヵ月ぶりの王座返り咲きに失敗した〔 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年7月13日〕。 2015年8月7日、ラーチャブリー県のラーチャブリー・スタジアムにて亀田和毅の王座返上に伴い空位となったWBO世界バンタム級王座を赤穂亮(横浜光)と争う。2回にロープを背負ってクリンチの要領で体を入れ替えた際に右を2発入れ、ダウンした赤穂は立ち上がる事が出来ずに試合終了。2回KO勝利を収め2年5ヶ月振りの王座返り咲きに成功した〔 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年8月7日〕。 2015年8月10日、WBOは最新ランキングを発表し、上述の赤穂戦に勝利し王座獲得に成功したプンルアンはWBO世界バンタム級王者としてランクインした〔WBO RABKING AUGUST 2015 WBO公式サイト 2015年8月10日〕〔WBOランキング、山本隆寛らがランク入り Boxing News(ボクシングニュース) 2015年8月15日〕。 WBOはランキング発表後、12月16日に行われる大森将平vsマルロン・タパレスとの指名挑戦者決定戦でタパロスが大森を破り勝利したためタパロスとの指名試合を発令した。 2016年2月12日、ナコーンラーチャシーマー県でWBO世界バンタム級5位のヘトロ・パブスタンと対戦し7回終了時3-0(3者共に70-63)の負傷判定勝ちで初防衛に成功した〔プンルアンがWBOバンタム級初防衛 Boxing News(ボクシングニュース) 2016年2月12日〕。当初はタパロスとの指名試合の予定だったが、WBOを交えた交渉でプンルアンに1試合挟むことで合意。指名試合を行うことを確約することを条件に選択試合を承認した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プンルアン・ソー・シンユー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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