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ヘアメイクアーティスト(hair and make up artist)とは、映像、舞台、コレクション、イベント、紙媒体等のメディア表現を中心に現場においてヘアスタイリングならびにメイクアップを両立し施術する者である。 == 歴史 == 1970年代以前のテレビや映画、ファッションショーなどの出演者、モデル等のヘアスタイリングやメイクアップは主に美容室に勤務する美容師が担った。日本では1960年9月10日、白黒だったテレビ放送から色の付いたカラー放送が開始され、1964年の東京オリンピック開催を期にカラーテレビの普及も進み、カラー放送が増えたことでヘアメイクアップアーティストの仕事が急増した。1972年には、日本で初めてプロのヘアメイクアップアーティストを養成する専門校メークアップアーチスト学院が東京の渋谷に誕生する。70年代後半、日本では「シバヤマ美容室」や「伊藤五郎美容室」などが出張美容業務を行い、同時期にパリでは「モッズヘア」によって撮影専門のヘアスタイリスト事務所が生まれた。 1960年代伊藤五郎によるアトリエGORO、1980年代、田村哲也によってモッズヘアが美容室と共にヘアメイクアーティストの事務所として東京に併設される。また同時期、ニューヨークで活躍していた須賀勇介の「スガサロン」にいた野村真一が「アトリエシン」を、前述シバヤマの渡辺サブロオが「サッシュ」を東京にオープンする。後サッシュからは、三上宏幸など多くの人気アーティストを生む事になる。折しも時代はデザイナーズ・ブランドの全盛期とバブル経済に突入しようとしており、ファッションでは、イッセイミヤケ、コムデギャルソン、ヨウジヤマモトなどがパリコレクションに進出するなど、ヘアメイクアーティストの需要が急激に高まりを見せて行った。日本においてヘアメイクアーティストという概念が定着しビジネスとして動き始めた草創期である。 1990年代に入りバブル崩壊と共に、モッズヘアの柘植伊佐夫が「プレゼンス」開設、ヘアメイクアーティストがサロン業務を行うという発想の転換を計り、美容師に対してメイクアップ需要と撮影スキルの重要性を認識させた。同時期、イマージュ、プリュス( 現 3rd )、オーガスト、ファム、など有名アーティストを抱える、マネージメントオフィスや稲垣亮二は「マロンブランド」を、宮森隆行が「エスパー」を開設するなど、ヘアメイクアーティストの世代交代と組織の分化が活発化して行った。また「日本ヘアデザイナー大賞」など、ヘアメイクアーティストや美容師に対する賞が生まれたのも90年代である。これにより美容師にも写真による作品制作の重要性が加速し、ヘアメイクアーティストと美容師の業態と意識の距離が縮み始める。 2000年代、TV番組が美容師を取り上げ、「ACQUA」「HAIR DIMENSION」などにより美容界に「カリスマブーム」が起こる。これにより美容師はサロンワークやカットを通じて作品を表現するものという流れが強まり、ヘアメイクアーティストと一定の距離を保つ風潮が生まれる。一方では、俳優、女優、芸能人などが美容室に訪れることをきっかけにTVなどのヘアメイクを依頼されるなどの流れも生じる。ここに「美容師のみに特化するタイプ」「美容師でありつつヘアメイクも行うタイプ」「完全にヘアメイクのみを行うタイプ」が分類される。またヘアメイク業務自体も欧米のように撮影用のヘアスタイリストとメイクアップアーティストに分かれ、チームを組んで業務を行う事例も増えて来た(例:(ヘアー)TAKU、TETSU、AKINO、MATUKAZU、ABE、YASU、SHINYA、(メーク)RUMIKO、AYAKO、MICHIRU、COCO、YUKI等)。2000年代中盤以降、ヘアメイクアップはますます専業していき、ボディーペイントやネイルアートも分化している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘアメイクアーティスト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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