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ヘイムスクリングラ(。「世界の輪」〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』15頁。〕、「世界の環」〔V.G.ネッケル他編『エッダ 古代北欧歌謡集』(谷口幸男訳、新潮社、1973年、ISBN 978-4-10-313701-6)301頁。〕の意)は、1220年代か1230年代初頭にアイスランドのストゥルラの息子スノッリが編集したと言われているノルウェーの王のサガ集の総称である。 この題名はのちに「ユングリング家のサガ」の冒頭の語からつけられたとされている。スノッリによる序文に続いて、スウェーデンの伝説上の王家であるユングリング家 (Ynglingar) に始まる16編のサガで構成される〔。 神代の物語から始まって10世紀、11世紀を経て12世紀の歴史で終わる。 == 内容 == # ユングリング家のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題は『ユングリンガサガ』。『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ユングリンガ・サガ』。〕 # ハールヴダン黒王のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題は『ハルヴダン黒王のサガ』。〕 # ハラルドル美髪王 のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題および『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ハラルド美髪王のサガ』。〕(930年?頃没) # ホーコン善王のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』と『サガ選集』での日本語題および『オージンのいる風景』253頁掲載の日本語題は『ハーコン善王のサガ』。〕 (960年頃没 ) # 灰色マントのハラルドル王のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題は『灰色マントのハラルド王のサガ』。『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ハラルド灰色外套王のサガ』。〕 (970年頃/974?年没) # トリッグヴィの息子オーラーヴル王のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (二)』での日本語題は『オーラヴ・トリュッグヴァソンのサガ』、『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『オーラヴ・トリュッグヴァソン王のサガ』。〕(1000年没) # 聖オーラーヴル王のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 -』二および三、および『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『オーラヴ聖王のサガ』。〕(1030年没) # マグヌス善王のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (三)』での日本語題は『マグヌース善王のサガ』。〕 (1047年没 ) # ハラルドル苛烈王のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『ハラルド苛烈王のサガ』。〕 (1066年没 ) # オーラーヴル平和王のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈無口のオーラヴ王〉のサガ』。〕 (1093/94年没 ) # 裸足のマグヌース王のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈素足のマグヌース王〉のサガ』。〕 (1103年没 ) # マグヌースの息子たちのサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『マグヌースソンのサガ』。〕(十字軍(エルサレム行き)のシグルズル (1130年没 )、エイステイン (1122年没)、オーラーヴル (1116年没)) # マグヌース盲王 (退位1135年)と キリストの僕のハラルドル王 (1136年没)のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈盲目のマグヌース〉とハラルド・ギリのサガ』。〕 # ハラルドルの息子たち(インギ(1161年没)、シグルズル(1155年没)、エイステイン(1157年没))のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『ハラルドの子のサガ』、『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ハラルド王の息子たちのサガ』。〕 # 肩広のホーコン王 のサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈広肩のハーコン王〉のサガ』、『オージンのいる風景』253頁掲載の日本語題は『ハーコン広肩王のサガ』。〕(1162年没 ) # エルリングルの息子マグヌースのサガ〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『マグヌース・エルリングスソンのサガ』。〕(1184年没だが、サガは1177年の勝利まで) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘイムスクリングラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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