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ハーキュリーズ・ヘルナンデス(Hercules Hernandez)ことレイ・フェルナンデス(Raymond Fernandez、1956年5月7日 - 2004年3月6日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。フロリダ州タンパ出身。 ギリシア神話の英雄 "ヘーラクレース" の英語名であるハーキュリーズをリングネームに冠し、その名に違わぬ筋骨隆々のパワーファイターとして活躍した。日本ではヘラクレス・ヘルナンデスの呼称および表記で知られている。 == 来歴 == 1981年、地元のNWAフロリダ地区でデビュー(1979年にミッドサウス地区で覆面レスラーのミスター・レスリング3号としてデビューしたともされる)。1982年にハーキュリーズ・ヘルナンデスのリングネームで中西部のNWAセントラル・ステーツ地区に入り、ハーリー・レイスやマイク・ジョージらベテランと対戦してキャリアを積む。1983年1月にはヘラクレス・ヘルナンデス名義で全日本プロレスに初来日し、大器の片鱗を見せた〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P63(2002年、日本スポーツ出版社)〕。 以降、ジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区やビル・ワット主宰のMSWAなど、南部エリアを転戦。MSWAではジム・コルネットやスカンドル・アクバのマネージメントのもと、ジム・ドゥガン、ジャンクヤード・ドッグ、テリー・テイラーと抗争を展開。1984年12月3日には、テッド・デビアスと組んでロックンロール・エクスプレス(リッキー・モートン&ロバート・ギブソン)からミッドサウス・タッグ王座を奪取した。 古巣のフロリダ地区では1985年5月26日にブライアン・ブレアーから南部ヘビー級王座を奪取し、6月30日にはヘクター・ゲレロを破りフロリダ・ヘビー級王座を獲得したが、控室でワフー・マクダニエルと乱闘騒ぎを起こしたため解雇されている。 1985年末よりWWFに登場し、初期はフレッド・ブラッシー、後にボビー・ヒーナンをマネージャーに迎え、極太の鎖を首に巻きつけた大型ヒールとして活躍。リングネームをハーキュリーズに改め、同じ筋肉派のビリー・ジャック・ヘインズやアルティメット・ウォリアーと抗争し、1986年11月15日収録(11月29日放送)のサタデー・ナイト・メイン・イベントではハルク・ホーガンのWWF世界ヘビー級王座に挑戦した。 1988年からベビーフェイスに転向してテッド・デビアスらと抗争するが、1990年夏頃から再びヒールターン。スリックをマネージャーに、ポール・ローマとのタッグチーム "パワー&グローリー" でタッグ戦線に進出する。怪力のハーキュリーズ(パワー)とスピーディーなローマ(グローリー)という、それぞれの持ち味を活かしたコンビネーション・プレイを武器に、リージョン・オブ・ドゥーム(ホーク&アニマル)、ハート・ファウンデーション(ブレット・ハート&ジム・ナイドハート)、ザ・ロッカーズ(マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)らと激闘を繰り広げた。1991年6月には当時WWFと提携していたSWSにローマとのコンビで来日している。 1992年にWCWへ移籍し、覆面レスラーのスーパー・インベーダーに変身〔。同年9月2日のクラッシュ・オブ・ザ・チャンピオンズではジェイク・ロバーツ、リック・ルード、ベイダーと組み、スティング、ニキタ・コロフ、スタイナー・ブラザーズ(リック&スコット・スタイナー)のベビーフェイス勢とエリミネーション・マッチで対戦した。 1993年、新日本プロレスに初参戦。当時の新日本の外国人エースだったスコット・ノートンと "ジュラシック・パワーズ" を結成し、同年8月5日にヘルレイザーズ(ホーク&パワー・ウォリアー)からIWGPタッグ王座を奪取した。新日本には翌1994年まで計9回、ノートンのパートナーとして来日している。 その後はイリノイ州シカゴのAWFなどインディー団体を転戦し、1999年に引退してトラック・ドライバーに転身した。2004年3月6日、心臓発作のためフロリダ州タンパの自宅で死去〔。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レイ・フェルナンデス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hercules (wrestler) 」があります。 スポンサード リンク
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