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ヘルベルト・カプラー(Herbert Kappler、1907年9月23日 – 1978年2月9日)は、、ナチス・ドイツ親衛隊(SS)の隊員。ローマのゲシュタポ長官。最終階級は親衛隊中佐(SS-Obersturmbannführer)。 == 経歴 == シュトゥットガルト出身。SD隊員で1941年にローマに赴任してきた。現地のファシスト警察と密接に協力。イタリア王国が独断で講和を結び、ドイツ軍がイタリアを占領すると彼はイタリアでかなりの権力を持つようになっていった。ベニート・ムッソリーニの救出作戦にも関与。また1007人のイタリアユダヤ人のアウシュヴィッツへの強制送還にも関与している。この時に輸送されたユダヤ人のうち、戦後まで生き残っていたわずかに16人だけだった。1944年にローマのゲシュタポ長官となる。イタリアでの残虐行為に多数関与している。エーリヒ・プリーブケが行ったアルデアティーネ虐殺もカプラーの指示による。当時のローマでひそかにユダヤ人をかくまっていたバチカンの高位聖職者ヒューゴー・オフラハーティ神父はいわば仇であった。 1945年にイギリス軍によって逮捕された。その身柄は戦後のイタリア共和国に引き渡され、イタリアの軍事裁判にかけられた。終身刑に処され、ガエータ刑務所へ投獄された。獄中のカプラーは毎月訪れるオフラハーティ神父の感化を受けてカトリックの洗礼を受けた。1970年代にがんを患ってローマの病院へ移された。この際に彼の看護婦で妻となったアンネリーゼ・カプラー(Anneliese Kappler)がカプラーを大きな荷物の中に入れてイタリアの外へ運ぶのに成功し、カプラーはドイツへ帰国することとなった。イタリアはカプラーの身柄返還を求めたが、西ドイツは応じず、また西ドイツでは健康状態から裁判が行われなかった。1978年にゾルタウの自宅で死去〔http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,915344,00.html カプラーの脱走についてのアメリカの雑誌「タイム」の報道(英語)〕。 1983年にオフラハーティ神父の事跡が『赤と黒の十字架』で映画化されたとき、クリストファー・プラマーがカプラー中佐を演じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘルベルト・カプラー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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