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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヘルマン・トーレス(Germán Torres、男性、1957年5月28日 - )は、メキシコのプロボクサー。元WBC世界ライトフライ級王者。 日本人女性と結婚し、妻方の姓から大関トーレスを名乗った。長男利幸トーレス、二男健文トーレス(トーレス・マルティネス・健文)ともにプロボクサーとなった。アルマンド・トーレス(大関一郎)は甥。 == 来歴 == 1975年8月27日、プロデビュー。 1979年11月24日、初代メキシコライトフライ級王座を獲得。以後、3度防衛した。 1981年8月16日、WBC世界ライトフライ級王者イラリオ・サパタ()に挑戦し、0-3の大差判定負けで王座獲得ならず。 1981年10月31日、メキシコライトフライ級王座4度目の防衛戦でアマド・ウルスア()と対戦し、判定負けで王座から陥落した。 1982年3月27日、メキシコライトフライ級王座決定戦でフランシスコ・モンティエル()と対戦し、5回KO勝ちで王座に返り咲いた。 1982年6月7日より活動拠点を日本に移し、協栄ジムと契約、リングネームを協栄トーレスとし、日本人を初めとするアジア人と多く対戦した。 1983年9月10日、韓国で行われたWBCライトフライ級王座決定戦で張正九()と対戦し、10回に2度ダウンを奪われるなどして0-3の判定負けで王座獲得ならず。 1985年4月27日、リングネームを大関トーレスと改め、韓国で王者張正九と再戦し、0-2(114-114、114-115、114-116)の僅差判定負けで王座獲得ならず。 1986年4月13日、韓国で王者張正九と再々戦し、0-3の判定負けで王座獲得ならず。 1988年12月11日、韓国で行われたWBC世界ライトフライ級王座決定戦で姜順中()と対戦し、3-0の判定勝ち。5度目の挑戦にして世界王座を獲得した。 1989年3月19日、韓国で行われた初防衛戦で挑戦者李烈雨()と対戦し、9回TKO負けで王座から陥落した。 1991年6月21日、メキシコで行われた試合を最後に3年のブランクを作った。 1994年6月10日、兵庫県姫路市で地元のホープで姫路木下ボクシングジム創始者子息大場貴志との試合で10回判定負けした試合を最後に引退した。 井岡弘樹のトレーナーとして来日し、グリーンツダジムに所属。その後も、日本のジム(オールボクシングジム、大鵬ジム)でトレーナーとして活動。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘルマン・トーレス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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