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ヘルマン・ハンゼン
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ヘルマン・ハンゼン
ヘルマン・ハンゼン( Hermann Hansen 、1886年11月26日 - 1927年 3月13日)は、ドイツ出身の 指揮者・ ヴァイオリン奏者・ 軍人。第一次世界大戦時に日本の俘虜収容所でオーケストラを結成して多数の音楽会を開いた。1918年(大正7年)6月1日、徳島県の板東俘虜収容所内でベートーベンの交響曲第9番(第九)が演奏された時(日本国内での初演)の指揮者。
== 経歴 == 北ドイツのシュレースヴィヒ地方(現シュレースヴィヒ=フレンスブルク郡)、グリュックスブルクの出身。オーデル川河口のシュテッティン(現ポーランド領シュチェチン)の音楽学校で学ぶ。1904年、18歳で海軍に入隊。1914年11月、中国の青島で「膠州海軍砲兵大隊(MAK)第3中隊」の一等軍楽兵曹として軍楽隊の指揮をとっていたが、青島の戦いの敗戦により日本軍の捕虜(俘虜)となった。同年12月に収容された徳島俘虜収容所において俘虜仲間と「徳島オーケストラ」を結成。収容所内で俘虜を対象として多数の演奏会を開いた。1917年に松山・丸亀・徳島の3つの収容所の統合移転により新設された板東俘虜収容所に移った後も、徳島オーケストラ(後に改称し「M.A.K.オーケストラ」)を率いて活発な演奏活動を行った。大戦終結後の1919年8月、シュレースヴィヒのデンマークとの帰属を決める住民投票に参加するために、他の俘虜より一足先に帰国した。市の広報係・秘書官・参事などを務める傍ら、休日には声楽クラブ「フェニックス」に参加し、1925年には同クラブの指揮者となった。1927年、40歳で病気のため死亡。結婚はしていたが、子どもはなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘルマン・ハンゼン」の詳細全文を読む
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