|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヘルマン・マイヤー(Hermann Maier, 1972年12月7日 - )は、オーストリア出身のアルペンスキー選手。高速系の種目を得意とし、とりわけスーパー大回転では長年無敵を誇った。スキーは長らくアトミックを使用してきたが、2008シーズンからヘッドを使用することが決定した。 大転倒や交通事故をも乗り越えて滑り続けた不死身ぶりやファーストネーム Hermann と映画『ターミネーター』をもじってつけられた“ハーミネーター”というニックネームで知られる。弟のアレクサンダー・マイヤーはスノーボード選手。 == 経歴 == 若い頃は夏は煉瓦職人、冬は父が経営するスキー学校の教師として働いていた。1996年に24歳でワールドカップにデビュー。 1998年の長野オリンピックの滑降の競技中、風に煽られてバランスを崩しコースを大きく外れ転倒、防護ネットを突き破って50m近く転げ落ちた末にようやく止まり病院に運ばれた。幸い大事には至らなかったが、大事を取って直後に予定されていた複合を棄権、しかしこの大クラッシュのわずか3日後にスーパー大回転に出場し金メダルを獲得。さらに大回転でも金メダルを獲得したため、多くのファンに「不死身」というイメージを植え付けた。 1999年-2000年シーズンにはシーズン序盤から圧倒的な強さを見せ、アルペンW杯史上初の2000点の大台に到達して個人総合優勝に輝いたほか、滑降、スーパー大回転、大回転でも種目別優勝を果たして1967年のジャン=クロード・キリー(フランス)以来の4冠を達成、翌シーズンもこの4つのタイトルを獲得している。 2001年8月24日、バイクで自宅に向かう途中、道を横切ろうとした車を避けようとして横転しバイクごと溝に転落、右下腿骨開放性複雑骨折の重傷を負った。ヘリコプターでザルツブルクの救急病院に運ばれ7時間に及ぶ手術を受けた。右足切断も危惧されたが、その後驚異的な回復を見せ、選手生命の危機を乗り越え奇跡的に復活した。 2002年のソルトレイクシティオリンピックは欠場したが、2006年のトリノオリンピックでは、スーパー大回転で銀メダル、大回転で銅メダルを獲得した。 ワールドカップではしばらく優勝から遠ざかっていたが、2008年カナダ、レークルイーズでのスーパー大回転で優勝。3シーズンぶりの勝利だった。 2009年10月13日、記者会見にて引退を表明した。 ワールドカップにおいて、滑降で15勝、スーパー大回転で24勝、大回転で14勝、アルペン複合で1勝の合計54勝を挙げている(2010シーズン終了時点でインゲマル・ステンマルクの86勝についで歴代2位。)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘルマン・マイヤー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|