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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヘンゾ・グレイシー(Renzo Gracie、1967年3月11日 - )は、ブラジルの男性柔術家、総合格闘家。リオデジャネイロ州出身。アメリカ合衆国ニュージャージー州在住。ヘンゾ・グレイシー柔術アカデミー主宰。ブラジリアン柔術六段、柔道黒帯。 ブラジリアン柔術創始者カーロス・グレイシーの次男カーロス・ボブソン・グレイシーの次男。兄弟には、三男ハウフ・グレイシーや四男ハイアン・グレイシーがいる。ヒクソン・グレイシーやホイス・グレイシーの従兄弟と報道されることも多いが、実際には「ヒクソン等の従兄弟の子」である。 グレイシー一族の中でも最も早くから総合格闘技イベントが異種格闘戦という構図から、あらゆる要素を含んだ格闘技を生むということを見越して柔術だけでなくレスリングやボクシングを取り入れていった。 == 来歴 == 同門グレイシーバッハのマチャド兄弟を訪ねて南カリフォルニアにやってきたヘンゾは、米人初のブラジリアン柔術黒帯クレイグ・クククと知り合い、ニューヨーク・ニュージャージー地域にて共同の道場を立ち上げる。1995年10月、アメリカの新興MMAイベントWorld Combat Championshipの8人制トーナメントで優勝を果たした。 1997年10月11日、PRIDE.1で小路晃と対戦し、引き分けた。 1998年3月15日、PRIDE.2で菊田早苗と対戦。約50分の死闘の末フロントチョークで一本勝ち。 1998年3月、初開催されたアブダビコンバットの77kg未満級において優勝を果たした。 1999年2月、アブダビコンバットの88kg未満級に出場するも、2回戦でイーゲン井上に判定負け。 2000年2月26日、リングスKOK決勝トーナメント準々決勝で田村潔司と対戦し、判定負け。 2000年3月、第3回アブダビコンバットの77kg未満級で2度目の優勝を果たした。 2000年8月27日、PRIDE.10で桜庭和志と対戦し、チキンウィングアームロックで肘を脱臼し見込み一本負け。ホイス・グレイシーのリベンジマッチとして臨んだ試合であったが、返り討ちにあった。 2000年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2000でアントニオ猪木とエキシビションマッチを行い、猪木のダブルアーム・スープレックスやコブラツイストを受けた。 2005年5月、アブダビコンバット77kg未満級の1回戦でパブロ・ポポビッチと対戦し、判定負け。 2005年7月29日、K-1 WORLD GP in HAWAIIでBJ・ペンと総合格闘技ルールで対戦し、判定負け。 2006年9月23日、IFLでパット・ミレティッチと対戦し、フロントチョークで一本勝ち。 2007年2月10日、EliteXCでフランク・シャムロックと対戦。終始試合をコントロールしていたが、グラウンド状態で頭部への膝蹴りを受け、反則勝ち。 2010年4月10日、UFC初参戦となったアブダビ開催のUFC 112で約3年振りに総合格闘技へ復帰しマット・ヒューズと対戦。3R終了間際にパンチのコンビネーションでTKO負けを喫した〔【UFC112】ヒューズ快勝、英雄ヘンゾはほろ苦デビュー MMAPLANET 2010年4月11日〕。 2012年9月8日、ニューヨークの22nd/10thアベニュー付近で二人組の強盗とストリートファイトを行い勝利。その様子をTwitterにて報告した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘンゾ・グレイシー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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