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ヘンドリック・ズーフ : ミニ英和和英辞書
ヘンドリック・ズーフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヘンドリック・ズーフ ( リダイレクト:ヘンドリック・ドゥーフ ) : ウィキペディア日本語版
ヘンドリック・ドゥーフ[ちょうおん]

ヘンドリック・ドゥーフ(''Hendrik Doeff''、1777年12月2日 - 1835年10月19日)は、オランダフランス革命軍に占領され、オランダ東インド会社が解散した後の1803年-1817年に、出島オランダ商館長(カピタン)に就き、米国船と貿易を行ったオランダ人。ドゥーフが商館長在任時にフェートン号事件が起きた。
== 経歴 ==
ヨーロッパフランス革命戦争ナポレオン戦争が勃発し、まさに戦乱とも呼べる荒れ狂った時期にアジア貿易に携わった。ネーデルラント連邦共和国1793年フランスに倒されてその衛星国バタヴィア共和国に代わると、インドネシアにあったオランダのアジア貿易の拠点バタビアバタヴィア共和国の配下に置かれたが、1799年にオランダ東インド会社も解散すると、フランスと敵対するイギリスが東南アジアの植民地を接収した。
ドゥーフは、就任前の1797年からすでに長崎の出島でスタートしていた日米貿易を1808年まで引き継いだ(黒船来航参照)。なお、この日米貿易は、米国船が入港する際、オランダ国旗を立てさせてオランダ船に見えるよう偽装させて行われたもの。米国船との貿易の始まりは、オランダ東インド会社解散までの数年間経営を引き継いだフランスの衛星国バタヴィア共和国が、米国船と傭船契約を交わしたためである。当時の米国船は、米国が中立国であったために、オランダの滅亡に伴って英国の支配下となった東南アジアの海域を安全に航行することができた。しかし、いかなる理由で、安全を保障された米国船が、すでに滅亡したオランダの国旗を掲げて入港したのかは明らかでない。
そして1808年にはイギリス海軍のフェートン号がオランダ国旗を掲げて国籍を偽り、長崎へ侵入するというフェートン号事件が発生した。フェートン号は、オランダ船と誤認して近づいてきたオランダ人2名を捕縛、彼らを人質にして長崎に対して食料や飲料水の提供を求めた。港内の和船を焼き払うと脅迫までしてきたイギリス船を前に、泰平に慣れた鍋島藩福岡藩はイギリス船を追い払う事が出来ず、やむなく食料や飲料水を供給、オランダ商館も食料としてを送った事から2名は無事に保釈され、事件は終結した。しかし、国威を辱めたとして、時の奉行松平康英らが切腹するなど、公儀方でも混乱が続いた。
この後も商館長として、イギリス勢力に対し出島のオランダ公館の明渡しを拒み、1811年にイギリスがオランダ領東インドを制圧してから、1815年にオランダが再独立を果たすまでの間、世界でオランダ国旗を掲げ続けた数少ない人物となった。この間は、イギリス船の出現が相次いだため、長崎奉行とオランダ商館は連携して臨検体制の改革を行い、連絡には秘密信号旗を用いるなど外国船の入国手続きが強化された。江戸幕府も事態を注視しており、フェートン号事件は幕府が1825年に異国船打払令を発令する遠因となった。
オランダ独立後の2年後、1817年にオランダ船が長崎港に入港し、ドゥーフは国の名誉を守ったとして、オランダより最高勲章「オランダ獅子士勲章」を賜わり、17年ぶりに故国オランダへ帰国する事が出来た。他のカピタンが長くても数年で帰国している中、17年もの長期間、亡国の国民でありながら、オランダ人としての誇りを失わずに他国で生き抜いたドゥーフは、当時の日本人にも敬意を持たれたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンドリック・ドゥーフ」の詳細全文を読む




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