翻訳と辞書
Words near each other
・ ヘンリー・L・スチムソン
・ ヘンリー・L・スティムソン
・ ヘンリー・L・スティムソン (原子力潜水艦)
・ ヘンリー・M・ジャクソン
・ ヘンリー・M・ジャクソン (原子力潜水艦)
・ ヘンリー・M・スタンリー
・ ヘンリー・M・スタンレー
・ ヘンリー・M・ストンメル
・ ヘンリー・M・ポールソン
・ ヘンリー・M・ポールソン・ジュニア
ヘンリー・M・ムリニクス
・ ヘンリー・O・ゴッドウィン
・ ヘンリー・P・フレッチャー
・ ヘンリー・S・パーマー
・ ヘンリー・T・ウェインスタイン
・ ヘンリー・T・ウェンステイン
・ ヘンリー・T・メイヨー
・ ヘンリー・T・ワインスタイン
・ ヘンリー・W・エドワーズ
・ ヘンリー・W・スローカム


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヘンリー・M・ムリニクス : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・M・ムリニクス[へんりーえむむりにくす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヘンリー・M・ムリニクス : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・M・ムリニクス[へんりーえむむりにくす]

ヘンリー・マストン・ムリニクス (Henry Maston Mullinnix, 1892年7月4日 - 1943年11月24日) は、アメリカ合衆国軍人海軍少将
==生い立ち及び経歴==
ムリニクスは1892年7月4日インディアナ州スペンサーで生まれる。1909年にアッティカのインディアナ高校を卒業した。彼は学級の委員長であった。1916年に海軍士官学校を卒業、駆逐艦バルチ (''USS Balch, DD-50'') に勤務し、第一次世界大戦の間はアイルランド沖で偵察及び護衛任務に従事した。グリッドレイ (''USS Gridley, DD-92'') およびブルックス (''USS Brooks, DD-232'') で勤務した後、ムリニクスはアナポリス及びMIT航空工学を学び、1923年に理学修士号を受け取る。フロリダ州のペンサコーラ海軍航空基地で飛行訓練を受けた後、1924年1月11日に飛行士に任命された。彼は海軍機の空冷エンジン開発に従事した。様々な沿岸での任務の他、彼はサラトガ (''USS Saratoga, CV-3'') およびライト (''USS Wright, AV-1'') で勤務し、1924年から41年までアルベマール (''USS Albemarle, AV-5'') 艦長を務めた。
ムリニクスは1943年4月からサラトガ艦長を務める。8月22日に少将に昇進、空母部隊の指揮官となる。1942年11月24日、ムリニクス少将の座乗するリスカム・ベイ (''USS Liscome Bay, CVE-56'') は伊-175の雷撃を受けてマキン島近海で撃沈される。一年後、ムリニクスの死亡が宣告され、その「際立ったイニシアチブと優れた指揮能力」を称えてレジオン・オブ・メリットが授与された。
1957年、フォレスト・シャーマン級駆逐艦の11番艦が彼に因みムリニクス (''USS Mullinnix, DD-944'') と命名された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー・M・ムリニクス」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.