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ヘンリー・ジキル : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・ジキル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヘンリー・ジキル ( リダイレクト:ジキル博士とハイド氏 ) : ウィキペディア日本語版
ジキル博士とハイド氏[じきるはかせとはいどし]

ジキル博士とハイド氏』(ジキルはかせとハイドし、原題:『ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件』(''The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde'')は、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの代表的な小説の1つ。1885年に執筆され、翌1886年1月出版。通称はジキルとハイド
二重人格を題材にした代表的な小説であるといわれる。そのため、解離性同一性障害(旧称・二重人格)の代名詞として、「ジキルとハイド」という語が使われる事もある。この作品では、ジキルが薬を飲むことによって性格、および容貌までも変化していることが特徴である。なお、ハイド(hyde)という名前は、隠れる(hide)に掛けたものである。
話の冒頭には従兄弟のキャサリン・デ・マットス(、1851年-1939年)への献辞と共にヒースの茂る荒野について歌った4行の詩が掲げられている。本文は、アターソンの回想という体裁を取る本編と、ジキルの告白の二部からなる(同様の作品には『緋色の研究』、『こゝろ』がある)。
スティーヴンソンは、最初に書いた原稿を妻に批判されたことからこれを焼き捨て、新たに3日で書き直したという。彼自身は、最初に書いてから出版まで10週間以内で終わったと語っている。
出版の一年後の1887年5月9日には、トーマス・ラッセル・サリヴァンと俳優のの翻案による戯曲Dr. Jekyll and Mr. Hyde)がボストン美術館1841年に開業した美術館、劇場などを擁する複合施設だったが1903年に閉鎖・解体された。現在のボストン美術館とは別。〕の劇場で上演されており、マンスフィールド自身がジキルとハイドを演じている。

== あらすじ ==
ロンドン。弁護士のガブリエル・ジョン・アターソンは、日曜日毎の習慣となっている親戚のリチャード・エンフィールドと連れ立った散歩の途上にあった。エンフィールドはある繁華街の裏通りに建つ不気味な二階建ての建物を指し、数ヵ月前に遭遇した出来事について語り始めた。彼の話によると、極めて不快な感情を呼び起こす醜悪なハイドという名の人物がおり、ぶつかって転んだ少女を平然と踏みつけて立ち去ったという。エンフィールドや少女の家族達が詰め寄ると、ハイドはその建物に姿を消したが、少女の家族に渡す慰謝料としてある高名な紳士がサインした90ポンドの小切手と10ポンドの現金を持って再び現れた。エンフィールドはその高名な紳士の名前を明かさなかったが、アターソンもその紳士の名前を知っていた。彼の顧客であり友人でもあるヘンリー・ジキル博士である。アターソンはジキルから不可解な遺言状について相談され悩んでいた。その内容は、ジキルが死亡若しくは失踪した際には友人で恩人のエドワード・ハイドが全ての財産を相続するというものであった。アターソンはハイドという正体不明の相続人に不快感を募らせていたが、今やハイドという人物像を知るたび更に不快感が増していた。アターソンはハイドがジキルの財産を狙って恐喝しているのではないかという危惧を抱き、ハイドを捜し出す決心をした。折を見ては例の建物(実はジキルの屋敷から続く博士の実験室であった)で待ち伏せし、やがてハイドに出会う事ができた。ハイドは青白く小柄な青年であったが、何故か奇形という印象を抱かせ、不快感や嫌悪・恐怖という本能的な感覚を引き起こさせた。意外にもハイドはアターソンに自分のソーホーの住所をあっさりと教えた。2週間ほど経ってジキルの屋敷で開かれた晩餐会の後、アターソンはハイドの件をジキルに問い質すために1人残った。50歳で大柄なジキルは、アターソンがハイドに会った事を告げると顔面蒼白になったが、自分はその気になればいつでもハイドを追い払う事ができ、心配するような事は何も無いと告げた。
特に問題も無く1年間が過ぎた或る夜、偶然あるメイドが窓の外を眺めていて、老紳士をステッキで狂ったように打ち据え撲殺するハイドを目撃した。被害者の男性はアターソンの依頼人でもあるダンヴァーズ・カルー卿であった。警察から連絡を受けたアターソンは、刑事をハイドの住居に案内した。時刻は朝の9時をまわり、空には低く霧が垂れ込め、アターソンは憂鬱な思いに沈んでいた。彼らがハイドの部屋に入った時、殺人者は姿を消していたが、ドアの陰から凶器であるステッキが発見された。それは非常に頑丈な木で出来ていたが、殴打により真っ二つに折れ、残りの半分は事件現場にあったものと一致した。そのステッキはアターソンがジキルに贈ったものであった。その直後アターソンは再びジキルを訪ねた。ジキルはハイドとの関係を完全に断ったと語り、彼が引き起こしたトラブルについて謝罪し別れを告げるメモを見せた。しかしその夜、アターソンの主任書記はハイドの筆跡がジキルのそれと看過できない類似性を持っていると指摘した。
数ヵ月間ハイドは忽然と姿を消し、ジキルは肩の荷が下りたかのように、以前の親しみやすい社交的な態度に戻った。しかしその後ジキルは唐突に訪問客を拒否し始め、(ジキル、アターソン双方の知人である)ヘイスティー・ラニョン博士がジキルに関するある秘密を知った後に多大なショックを受けたらしく、ひと月足らずの内に病床に臥して亡くなってしまった。ラニョンは死ぬ前にアターソンに手紙を残したが、遺言によりジキルが死ぬか失踪するまでアターソンにはその手紙を開く事が出来なかった。アターソンはエンフィールドと共にジキルの研究所を偶然通りかかり、窓越しに3人で会話を交わしていたが、突然恐怖の表情がジキルの顔を覆い、彼は窓を閉じて姿を消した。ある夜、ジキルの執事で普段は冷静沈着であるプール氏が途方に暮れた様子でアターソンを訪ねて来た。ジキルが長らく書斎に閉じ篭ったままであり、しかも屋敷内で犯罪が行われていると考えられると説明し、一緒に来てほしいと懇願した。アターソンとプールは、閑散とした吹きさらしの不吉な通りをジキル邸へと向った。二人が中に入ると、ホールには怯えきった使用人全員が持ち場を離れて集まっていた。書斎の外から呼び掛けに答えた声は明らかにジキルの声では無かった。また歩き回る足音は博士の重々しいそれとは違い、奇妙に軽いものであった。プールは中にいるのはハイドであると断言し、博士は殺されたのだという推測を語った。しばらく口論した後に、二人はジキルの書斎に押し入ることを決心した。
アターソンの呼び掛けに答えた声は確かにハイドのものだった。アターソンの号令でプールが扉を斧で破壊し、二人は書斎に入った。中には自殺したと思われるハイドの遺体が横たわっていた〔部屋から強い杏仁水(原作では"kernels"「(アンズなどの)」)の匂いがした、と記述されていることから青酸による自殺と思われる(杏仁は微量の青酸を含んでいる)。〕。ハイドはジキルのものと思しきサイズの合わない服を着用しており、ジキルの遺体は見付からなかった。事務机の上にアターソン宛の封筒が残されていた。中には相続人をアターソンとしたジキルの遺言状、アターソンに向けた謝罪と詳細を記した告白を残した旨が書かれたジキルの手紙、分厚い手記を収めたらしき封筒が入っていた。アターソンは自らの事務室で文書を読むことにした。ジキルの手紙に従い、先ずラニョンの手紙を読んでからジキルの手記に取り掛かる。
ラニョンの手紙には、ジキルの不可解な手紙に従いジキルの研究所から指定された薬品を自宅に持ち帰った事、訪ねてきたハイドが調合した薬品を飲んでジキルに変化した事、そのショックで自らの寿命が尽きてしまうであろう事が記されていた。2通目のジキルの手紙には、自身の良い側の人格から暗い衝動を切り離そうとして、良心のないハイドという別の存在に変わる薬品を発見した事が説明されていた。ハイドが小柄な若者の姿であるのは、人間の肉体とは精神から構成されているのに過ぎず、善の部分に隠れ人生経験の少ない悪の精神の具現化であるため、とジキルは推測している。第2の凶悪なアイデンティティは純粋な悪であったにかかわらず、最初のアイデンティティであるジキルは相変わらず善と悪の2面を併せ持ったままであった。ジキルの告白によれば、最初はジキルを安全な場所に置いたまま、ハイドに変身して道徳から切り離された自由を満喫する二重生活を楽しんでいた。しかし、やがて薬を飲まなくとも睡眠中に無意識にハイドに変わってしまっている自分に気付く事となる。
この時点で、ジキルはハイドになる事をやめる決心をした。しかしある夜、誘惑に耐えられなくなり再度薬に手を出してしまう。変化の後、数ヶ月に亘り抑圧されていたハイドは直ぐに外に飛び出してダンヴァーズ・カルー卿を惨殺した。ジキルは戦慄して、断固として変化を止めようとした。暫く慈善事業に係わる事で、これは成功したと思われた。ある1月の晴れた日、ジキルはリージェンツ・パークで無関心な他者と比較すれば、積極的に善行に励んでいる自分は寧ろ罪深いとは言えないのではないかと考えていた。しかし突然の吐き気、悪寒、めまいに襲われ、再度ハイドに変身してしまっていた。起きている時間に薬品に拠らない変化が起こったのはこれが最初であった。公園は研究所から遠く、しかもハイドは殺人犯として警察に追われる身、薬を飲んで再びジキルに戻るためにはラニョンの援助が必要だった。彼がラニョンの目の前で変化してみせた事で、その衝撃がラニョンの健康の悪化と死をもたらした。ジキルは家に戻ったが変化の頻度が増加し、元に戻るための薬の用量を増やす必要さえあったので、常に窮地に陥る恐れがあり、無力感に打ちひしがれていった。ジキルがエンフィールド、アターソンとの会話を突然中断し研究所の窓を閉めて姿を消したのも、自然発生的な変化が始まろうとしていたからであった。
やがてジキルが薬品の調合のために用意していた特殊な材料の備蓄が不足してきた。新しく調達した材料で調合を試みた結果、薬品に従来の化学変化が現れず、飲んでみても効果が無かった。最初に購入した材料には不純物が含まれていて、それが重要な効果を与えていたのに違いないとジキルは推測した。その後ロンドン中をくまなく探し回らせたが、全て失敗に終わった。ハイドからジキルに戻る薬品は徐々に失われていき、正に尽きようとしていた。ジキルはこの手記を書き終えた時には永久にハイドになってしまうだろう、ハイドが処刑されるか、或いは自殺を選ぶのかは分からないと書いた。それは最早ジキルとは無縁な人物に関わる事であり、いずれにせよ手記の終わりがジキルの人生の終わりである事を強調し、「私は、あの不幸なヘンリー・ジキルの生涯を閉じる」と手記を結ぶ。この一文を以てこの短編小説も終わりを告げる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジキル博士とハイド氏」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde 」があります。




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