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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヘンリー・ダーガー(Henry Darger, 1892年4月12日 - 1973年4月13日)は『非現実の王国で』の作者である。 誰に見せることもなく半世紀以上もの間、たった一人で作品を書き続けたが、死の直前にそれが「発見」され、アウトサイダー・アートの代表的な作家として評価されるようになった。 彼の姓は「ダージャー」と日本語表記される場合もあるが、実際のところ「Darger」の正しい発音すら判明していない。ダーガーは孤独の中に生きており(生涯、童貞だったとされる)、職場である病院と教会のミサに通う他は自宅アパートに引き籠っていた。会話を交わしたことのある数少ない隣人も、それぞれ異なる発音で彼を呼んでいる有様である。 彼の作品(物語・自伝・絵画)に関しては、監督の映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」で一部を確認することができる。映画は、生前のダーガーを知る人物へのインタビューと本人の自伝を組み合わせつつ進むが、本人の姓の正しい発音や、何故作品を書き始めたのかなど、不明な点も多く残されている。 ==略歴== * 1892年4月12日シカゴで生まれる。 * 4歳になる直前に生母と死別。また、妹は里子にだされる。足の不自由な父に育てられる。 * 読書が好きで、小学校1年から3年に飛び級をした。だが、8歳で父親が体調を崩したため救貧院に入り、ヘンリーはカトリックの少年施設で過ごす。友達とコミュニケーションがうまくとれず、退学を体験する。 * 12歳の頃、感情障害の兆候が現れたという理由で、知的障害児の施設に移される。 * 15歳で父が死去した事を施設で知る。 * 16歳で施設を脱走し、260kmを歩いてシカゴに戻る。聖ジョゼフ病院の掃除人として働き始める。 * 19歳の時『非現実の王国で』の執筆を開始。執筆はダーガーの死の半年前まで続けられた。 * 33歳の時、教会に養子を申請するが却下。だがあきらめきれず、何度も申請し続ける。 * 73歳の時、掃除人の仕事を強制的にやめさせられる。できた時間で自伝を執筆する。 * 1972年の暮れ、病気のために救貧院に。アパートの大家でアーティストでもあったに、持ち物の処分を問われた時、ダーガーは「Throw away(捨ててくれ)」と答えたとされる。ラーナーは、アパートの他の住人と一緒に部屋の持ち物を処分している際に、残された作品を発見して驚嘆する。 * 1973年4月13日、救貧院にて死去。ラーナーはダーガーの死後も部屋をそのままの状態で、2000年まで保管した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘンリー・ダーガー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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