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ヘンリー・フリッツクロフト : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・フリッツクロフト[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヘンリー・フリッツクロフト ( リダイレクト:ヘンリ・フリッツクロフト ) : ウィキペディア日本語版
ヘンリ・フリッツクロフト[ちょうおん]
ヘンリ・フリットクロフト (Henry Flitcroft, 1697年8月30日 - 1769年2月25日) はイングランド建築家パラーディオ主義に属する建築家の第二世代にあたる。
父はハンプトン・コートで働く庭師であった。フリッツクロフトは指物師や大工として働いていたが、ある日バーリントン・ハウスで足場から落下し、骨を折ってしまった。これが機になって第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイルが彼の作図の才能に気付き、1720年にフリットクロフトはバーリントン付きの製図者および建築補佐となった。ウェストミンスター・スクールにおけるバーリントンの寮の下調べをおこない、トッテンハム・ハウスの指揮を担当した。パラーディオ主義を主導するサークルでの付き合いがなによりの教育代わりとなった。
フリットクロフトは1727年にウィリアム・ケントにより出版された『イニゴー・ジョーンズ建築図集』(''The Designs of Mr. Inigo Jones'') における図面をバーリントン卿の援助と指導下で引き直している。1726年5月にはバーリントン卿の推薦で王室営繕局に務めることになった。主任大工 (master carpenter) や主任石工 (master meison) に昇進しそこから建築分野における高地位についた。しかし王室に関する仕事が与えられることはなく、カンバーランド公ウィリアム・オーガスタスウィンザー・グレート・パークなどにとどまっている。
ロンドンのウエスト・エンドにおける都市設計および複数のカントリー・ハウスの設計に携わり1769年に死去した。
==建築、改築に関与した建築物==


*セント・ジャイルズ・イン・ザ・フィールズ教会ロンドン、1731年から34年
*ディッチレー・ハウスオックスフォードシャー、1724年以降、ウィリアム・ケントとの共同作業
*ウェントワース・ウッドハウス、W. Riding、ヨークシャー、1735年以降、西側正面を再設計し翼棟を追加した。
*ウィムボーン・ハウスウィムボーン・セント・ジャイルズドーセット、1740年から44年、内装
*ストウ・ハウスバッキンガムシャー、1742年頃、ステイト・ギャラリー
*ウィムポール・ホールケンブリッジシャー、1742年から45年
*ストーヘッドウィルトシャー、1744年から65年、ガーデン・テンプル
*ウォバーン・アビーベッドフォードシャー、1748年から61年
*ミルトン・ハウスノーザンプトンシャー、1750年から51年



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリ・フリッツクロフト」の詳細全文を読む




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