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ヘンリー木山 : ミニ英和和英辞書
ヘンリー木山[やま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

ヘンリー木山 ( リダイレクト:木山義喬 ) : ウィキペディア日本語版
木山義喬[きやま よしたか]

木山義喬(きやま よしたか、1885年1月9日 - 1951年4月24日)は日本の洋画家、およびHenry Y. Kiyamaのペンネームで主にアメリカ合衆国で活動した漫画家鳥取県日野郡出身。
== 経歴 ==
1885年明治18年)1月9日鳥取県日野郡根雨の油屋に生まれる。県立第二中学校(現・鳥取県立米子東高等学校)に進学するが、家産が傾き中退。1904年(明治37年)、19歳のときに伯父を頼って日系移民の一大拠点であったサンフランシスコに移民する。木山は画才に優れ、ハウスボーイ(下男)や農業労働者など、雑多な仕事で生活を支えながらサンフランシスコの絵画コンクールに投稿を重ね、1915年大正4年)から1920年(大正9年)の間に複数の受賞を得る。また「New York Art Students League / ニューヨーク画学生連盟」から奨学金を獲得し、サンフランシスコで何度か個展を開催した。木山はサンフランシスコの日本人街である「シャッター通り」に自分のスタジオをオープンし、日本移民排斥の風潮が激化する1937年昭和12年)まで在住した。同年日本に帰国し、再度の渡米を期すもののほどなく第二次世界大戦が勃発、木山は故郷の日野郡・根雨の旧制中学の絵画教師となって絵を描き続け、地域の文化振興に尽力した。出身地の鳥取県米子市で木山はいまだ郷土の先達の一人として記憶され、地元の美術館では不定期に木山の展示会が開催される。1951年(昭和26年)4月24日死去。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木山義喬」の詳細全文を読む




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