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ハーグ密使事件(ハーグみっしじけん)は、1907年(明治40年)に大韓帝国がオランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送り、自国の外交権回復を訴えようとするも国際社会の列強から会議への参加を拒絶され、目的を達成することができなかった事件。韓国では「ハーグ特使事件」。 ==経緯== 日本は、1905年の第二次日韓協約(日韓保護条約)によって大韓帝国の外交権を接収した。皇帝高宗は密使外交を展開することで日本からの支配を打破しようと試みていた。、沈相薫、金嘉鎮ら大韓帝国内の抗日派は、イギリス人アーネスト・トーマス・ベッセル(Ernest Thomas Bethell(1872-1909)。ジャーナリスト・「大韓毎日申報」社長)やアメリカ人ホーマー・ベザレル・ハルバート(Homer Bezaleel Hulbert(1863–1949)。1886年から1891年まで朝鮮に滞在したメソジスト派の宣教師・ジャーナリスト・歴史学者)らと図り、さらに海外にいた、らと連絡を取り合い、1907年6月、ハーグで開催されていた第2回万国平和会議に皇帝の密使を派遣し、列強に大韓帝国の外交権保護(第二次日韓協約の無効)を訴えようとした。密使として派遣されたのは(元議政府参賛)、(前検事)と(前駐露公使館二等書記官、前駐露公使李範晋の次男)の三人である。 ハーグに到着した彼らは、デ・ヨング (De Jong) ホテル〔高石は「晩餐五十銭位の安旅館」としている。「韓人の運動」大阪毎日新聞、明治40年7月3日。〕に投宿し、公然と活動を始めた。しかし会議に出席していた列強は大韓帝国の外交権が日本にあること、大韓帝国の利益は条約によって日本政府が代表していることなどを理由に三人の密使の会議出席を拒絶した。出席を拒まれた密使らはやむなく抗議行動として現地でビラ撒きや講演会を行った。 日本は万国平和会議の首席代表として派遣されていた都筑馨六特命全権大使がこの事件に対応した。また大阪毎日新聞から派遣されていた高石真五郎は連日、特派員電として現地の情勢を伝えた。この時、高石は日本人としてただ一人、密使と面会している。 密使らは具体的な成果を得ることはできなかった。そして、密使の一人である李儁は7月14日にハーグにて客死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハーグ密使事件」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hague Secret Emissary Affair 」があります。 スポンサード リンク
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