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ヘースチングズの戦い : ミニ英和和英辞書
ヘースチングズの戦い[たたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ヘースチングズの戦い ( リダイレクト:ヘイスティングズの戦い ) : ウィキペディア日本語版
ヘイスティングズの戦い[へいすてぃんぐずのたたかい]

ヘイスティングズの戦い(ヘイスティングズのたたかい、英:Battle of Hastings)は、1066年イングランドヘイスティングスから若干内陸に入ったバトルの丘でノルマンディーギヨーム2世イングランドハロルド2世との間で戦われた会戦である。
== 経過 ==

=== 発端 ===
イングランド1016年デンマークノルウェークヌートによって征服された。クヌートの王国はノルウェーとスウェーデンの一部をも征服したため強大な帝国となった(北海帝国)。彼の死後、イングランドではエドワード懺悔王が即位してデンマークから自立し、アングロ・サクソンの王統を回復した。しかし、その王権は弱体で、国内には有力な封建諸侯が割拠していた。
エドワードは、最も有力な諸侯であったウェセックス伯爵ゴドウィンの娘エディスを王妃に迎えて彼の協力を得ていたが、実子がないまま没した。ゴドウィンの子でエディスの兄ハロルドが諸侯に擁立されて王位に就きハロルド2世となったが、これに対し即座に異議を唱えたのが弟トスティとエドワード懺悔王の従甥でフランス貴族のノルマンディーギヨーム2世であった。
ギヨーム2世はノルマンディー公国を強国に育て、フランスフィリップ1世摂政ウェセックスアルフレッド大王マーシア王の子孫であるフランドル伯ボードゥアン5世の娘マティルダを妻にしてフランス内で不動の地位を確立していた。彼は懺悔王からイギリス王位の継承を約束されたと主張し、ローマ教皇アレクサンデル2世からイギリス支配のお墨付きをも取り付けて遠征の準備にかかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘイスティングズの戦い」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Hastings 」があります。




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