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ベストタイザン : ウィキペディア日本語版
ベストタイザン

ベストタイザン日本競走馬重賞勝ち鞍に園田金盃(2007年)、園田フレンドリーカップ(2007・2008年)、笠松グランプリ(2008年)、白銀争覇(2009・2010年)、梅見月杯(2009年)、東海桜花賞(2009年)、サマーカップ(2009年)。
== 戦績 ==
2004年6月10日、ホッカイドウ競馬のフレッシュチャレンジ競走を勝利したものの、札幌競馬場で走った中央競馬の芝のレースは2戦とも着外に敗れた。シーズン終了を待たずして園田の齊藤堯(たかし)厩舎に移籍。重賞で好レースを見せるも、この世代のトップホースであるグレートステージにはまるで歯が立たなかった。齊藤堯死去〔2005年7月12日 去る7月8日、齊藤 堯調教師(園田競馬場所属、65歳)が急逝されました。 〕のあと斎藤裕厩舎に移籍。
4歳となった2006年に復帰してから条件戦を地道に勝ち上がり、9月のS1特別を初勝利する。続く播磨町新聞の父特別(S1特別)でロードバクシンを破る。園田金盃2着〔のあと、距離が1000メートル短縮された兵庫ゴールドトロフィーも4着〔とまとめ、兵庫県競馬の特別敢闘馬に選出される。
2007年の初戦はお手馬が重なった下原理チャンストウライに騎乗したため、永島太郎に乗り替わる。ひさびさのレースで馬体重が29キログラム増えて終始おっ付け通しのチャンストウライに対し、得意の1400メートルで勝ちパターンに持ち込んだが、ゴール前で差し切られ敗れた。園田フレンドリーカップで重賞初制覇を果たし、そのあと園田金盃まで6連勝を記録。園田金盃の勝利により兵庫県競馬の最長距離重賞と最短距離重賞を制覇した。さらに兵庫ゴールドトロフィーに出走する。この年からハンデ戦となって前年の優勝馬リミットレスビッドとの斤量差が広がったが、前年と同じく4着に終わった〔。
2008年は園田フレンドリーカップを連覇。シンドバッドが従来持っていたレコードタイム(1230メートル、1分16秒0)を塗り替える1分15秒5での勝利だった。休養をはさんで復帰したものの、夏負けの影響があり馬体重がなかなか絞れず、目標だったJBCスプリントまで3連敗を喫する。笠松グランプリでは馬体重を10キログラム絞って臨み、単勝5番人気ながら勝利を挙げ、ほとんど兵庫から出ず「内弁慶」との悪評を一蹴した。その後兵庫ゴールドトロフィーに出走したが、体重増もあり9着に敗れた。
2009年には兵庫県競馬の年代表馬に選ばれるほどの成績を収めた。まず中1週笠松競馬場の白銀争覇に出走し2着に4馬身差を付け優勝。その後も名古屋競馬場と笠松競馬場にたびたび遠征し、梅見月杯、東海桜花賞、サマーカップに勝利した。一方ダートグレード競走では名古屋大賞典4着〔、兵庫ゴールドトロフィー5着と善戦止まりであった。チャンストウライ、アルドラゴンとの兵庫三強対決となった兵庫大賞典では、チャンストウライから2馬身差の2着だった。
2010年も白銀争覇から始動し、2着アルドラゴンに2分の1馬身差を付け連覇を飾った。続く福山競馬場マイル争覇で2着に敗れたあとに故障し1年あまり出走が途絶えたが、9歳となった2011年も現役を続け、途中ホッカイドウ競馬に移籍した。
2012年は6戦したが未勝利である。再びホッカイドウ競馬へ移籍したがその後は1走もせず、8月7日付けで引退。引退後は新冠町の中央牧場で種牡馬となった〔ジャパン・スタッドブック・インターナショナル 2013年5月15日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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