翻訳と辞書
Words near each other
・ ベッツェッカの戦い
・ ベッツェンシュタイン
・ ベッツェンベルク・シュタディオン
・ ベッツドルフ (ドイツ)
・ ベッツ細胞
・ ベッティナ・ハイム
・ ベッティナ・フォン・アルニム
・ ベッティングシステム
・ ベッティーナ・バンジ
・ ベッティーナ・フォン・アルニム
ベッティーナ・フォン・ブレンターノ
・ ベッティーネ・フォン・アルニム
・ ベッティーノ・クラクシ
・ ベッティー・アンド・バーニー・ヒル誘拐事件
・ ベッティ反応
・ ベッテル
・ ベッテルハイム
・ ベッテルハイム家
・ ベッテンコート
・ ベッテンドルフ台車


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ベッティーナ・フォン・ブレンターノ : ミニ英和和英辞書
ベッティーナ・フォン・ブレンターノ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ベッティーナ・フォン・ブレンターノ ( リダイレクト:ベッティーナ・フォン・アルニム ) : ウィキペディア日本語版
ベッティーナ・フォン・アルニム[ちょうおん]

ベッティーナ・フォン・アルニム(Bettina von Arnim, 1785年4月4日 - 1859年1月20日)は、ドイツの女流作家文学者。ドイツロマン主義の最盛期の代表として著名な人物で、また同時代の著名なロマン主義の文学者アヒム・フォン・アルニムの妻でもある。彼女の兄、クレメンス・ブレンターノも同じ著名なドイツロマン主義の詩人である。
一般にベッティーナ・フォン・アルニムと呼ばれるが、本名はエリーザベト・カタリーナ・ルドヴィカ・マクダレーナ・ブレンターノ(後にアルニム) (Elisabeth Catharina Ludovica Magdalena Brentano (Arnim))である。
ベッティーナ自身は、ベッティーネ (Bettine) と名乗ることが多かった。この名称は、現在も若干の伝記作家によって使われている。
== 生涯 ==
大商人ペーター・アントン・ブレンターノと彼の妻マクシミリアーネ・フォン・ラ・ロッシュの12人の子の7番目としてフランクフルト・アム・マインで生まれた。11歳の時に母親が亡くなり、13歳になるまで、フリッツラーのウルスラ会の修道院で教育された。さらに父親も亡くなってからは、オッフェンバッハの祖母ゾフィー・フォン・ラ・ロッシュの元で暮らした。のちに住まいはフランクフルトに戻った。
彼女の姉グンダは、法学者フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニーに嫁いで、マールブルクに居を構えており、ベッティーナもしばらくそこに身を寄せたこともある。その後、サヴィニーがベルリンに移るのについて彼女もベルリンに移った。
1811年、アヒム・フォン・アルニムと結婚。アヒムは、彼女の兄クレメンス・ブレンターノの学友であり、既にフランクフルト時代にベッティーナと知りあっていた。結婚後、彼女の文学的な活動の最盛期が始まる。さらに、彼女は夫の主要著作集と自身の著作集の編纂の仕事も手がけている。結婚生活は、1831年にアヒムが突然亡くなるまで20年間続き、7人の子をもたらした。
1858年、彼女は心臓発作を起こし、それから二度と回復することはなかった。1859年1月、彼女はベルリンで家族が見守る中息を引き取った。亡骸はブランデンブルク州ニーダラー・フレーミングにあるヴィーパースドルフの教会で夫アヒムとともに眠っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ベッティーナ・フォン・アルニム」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bettina von Arnim 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.