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ベニ・モントレゾール(, 1926年3月31日 - 2001年10月11日)は、多方面に活躍したイタリアの芸術家で、オペラ演出家、映画監督、舞台美術家、美術デザイナー、衣裳デザイナー、絵本作家である〔Beni Montresor, インターネット・ムービー・データベース , 2011年1月21日閲覧。〕〔Beni Montresor, allmovie , 2011年1月21日閲覧。〕〔Beni Montresor, Find a Grave, 2011年1月21日閲覧。〕〔Beni Montresor, Internet Broadway Database , 2011年1月21日閲覧。〕。1965年に絵本『ともだちつれてよろしいですか』でコールデコット賞を受賞。トニー賞に3回ノミネートされた〔。日本ではベニ・モントレソールとも表記される。 == 人物・来歴 == 1926年3月31日、ヴェネト州ヴェローナ県ブッソレンゴに生まれる〔〔〔。 1953年には、ドメニコ・パオレッラが監督した『歌よ歌よ歌よ』に美術装飾・美術監督としてクレジットされている〔。1959年までに、30作にもおよぶイタリア映画の美術畑の仕事をし〔、1960年(昭和35年)、34歳のときにアメリカ合衆国に移住する〔。 アメリカ合衆国では、オペラの舞台監督・衣裳デザイナーとして知られ、1963年、サウスカロライナ州チャールストンでのスポリート・フェスティヴァル・USAで上演されたジャン・カルロ・メノッティの『最後の野蛮人』 ''The Last Savage'' の米国初演で、舞台と衣裳を手がけた。1981年には、ワシントン国立歌劇場とニューヨーク市立歌劇場で、イタロ・モンテメッツィの『三人の王の愛』 ''L'amore dei tre re'' 再演において、刺激的かつ刹那的な舞台設計と照明設計も手がけている。1988- 1989年、ローマ歌劇場の芸術監督を務めた。映画監督としても、クリフ・デ・ヤング主演 ''Pilgrimage'' (1972年)とルチア・ボゼー主演 ''La messe dorée'' (1975年)の2作を演出している。 イタリア・ミラノのスカラ座、スポリート・フェスティヴァル、グラインドボーン・フェスティヴァル・オペラ、ニューヨーク市立歌劇場、メトロポリタン歌劇場からの依頼を受けて、アミルカレ・ポンキエッリ『ラ・ジョコンダ』 ''La Gioconda'' 、ジュール・マスネ『エスクラルモンド』 ''Esclarmonde'' 、前述の『最後の野蛮人』 ''The Last Savage'' 、ガエターノ・ドニゼッティ『連隊の娘』 ''La Fille du régiment'' 、同じく『愛の妙薬』 ''L'elisir d'amore'' (メトロポリタン歌劇場)、ジュゼッペ・ヴェルディ『アイーダ』 ''Aida'' やヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト『魔笛』 ''The Magic Flute'' (ニューヨーク市立歌劇場)等の舞台をてがけた。映画美術の分野では、フェデリコ・フェリーニやヴィットリオ・デ・シーカ、ロベルト・ロッセリーニらとの共同作業を残している〔。 2001年10月11日、ヴェネト州ヴェローナ県ヴェローナで、膵癌のため死去した〔〔〔。満75歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベニ・モントレゾール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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