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ベニー・ブリスコ(Bennie Briscoe、男性、1943年2月8日‐2010年12月28日)はアメリカの元プロボクサー。ペンシルバニア州フィラデルフィア出身。 最高位は世界ミドル級1位であり、1970年代のミドル級を彩った名選手である。カルロス・モンソン(2戦1敗1分)、ロドリゴ・バルデス(3戦3敗)といった強豪と死闘を繰り広げながら、当時のチャンピオンの強さに阻まれ、最後まで世界王座を獲得できなかったことから「無冠の帝王」と呼ばれた。1階級下の世界ジュニアミドル級でも1位にランクされたこともあったが、最後までミドル級で闘うことに拘り続けた。 == 来歴 == *1966年10月10日 - プロデビュー。 *1967年3月20日 - 元世界ウェルター級王者ルイス・マヌエル・ロドリゲスに10回判定で敗れるが、元王者を相手に善戦して名を挙げる。 *1967年5月6日 - 初の海外遠征で後に名王者となるカルロス・モンソンに引き分け。 *1972年11月11日 - 当時WBA・WBC世界ミドル級王者となっていたカルロス・モンソンに敵地で挑戦。当時圧倒的な強さを誇っていたモンソンを相手に大善戦するが、僅差の15回判定負け。 *1974年5月25日 - モンソンから剥奪されたWBC王座をロドリゴ・バルデスと争うが、7回TKO負け。 *1974年5月25日 - 後のWBA世界ライトヘビー級王者エディ・グレゴリーを10回判定で下す。 *1974年10月9日 - ノンタイトル戦でエミール・グリフィスと対決するが、7回TKO負け。 *1975年8月18日 - エミール・グリフィスと再戦し、試合を優勢に進めたが引き分けとなった。 *1977年11月5日 - モンソンの引退と王座返上によって空白となったWBA・WBC統一王座を再びバルデスと争うが、またもや僅差の15回判定負け。 *1978年2月4日 - 後の世界ミドル級王者ビト・アンツォフェルモに10回判定負け。 *1978年8月24日 - 若き日のマービン・ハグラーに10回判定負け。 *1982年12月25日の試合を最後に引退。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベニー・ブリスコ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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