翻訳と辞書
Words near each other
・ ベニー・レナード
・ ベニー・レールプレーン
・ ベニー・ヴァンスティーラント
・ ベニー松山
・ ベニ子
・ ベニ川
・ ベニ県
・ ベヌエ川
・ ベヌエ州
・ ベヌスティアーノ・カランサ
ベヌステ・ニョンガボ
・ ベネイル・ダリウシュ
・ ベネウェントゥムの戦い
・ ベネシュ
・ ベネシュ布告
・ ベネショフ
・ ベネショフ・ウ・プラヒ - チェスケー・ブヂェヨヴィツェ線
・ ベネショフ・ウ・プラヒ - トルホヴィー・シチェパーノフ線
・ ベネジクト
・ ベネジクト法


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ベヌステ・ニョンガボ : ウィキペディア日本語版
ベヌステ・ニョンガボ


ベヌステ・ニョンガボ(Vénuste Niyongabo、1973年12月9日- )は、ブルンジ陸上競技選手。1996年アトランタオリンピックの男子5000m金メダリストである。
== 経歴 ==
ニョンガボは、ブルンジ南部のツチ族の出身。1992年に出場した世界ジュニア選手権の1500mで2位となるものの、翌年の世界選手権では1500mで準決勝敗退という結果に終わった。しかし、その後、ニョンガボはすぐに1500mで世界のトップランナーに成長する。1994年、1995年にはいくつものメジャータイトルを獲得した。1995年の世界選手権では、1500mで、アルジェリアヌールディン・モルセリモロッコヒシャム・エルゲルージに次いで3位となり銅メダルを獲得した。
1996年アトランタオリンピックは、ニョンガボの祖国ブルンジが、初めてオリンピックに参加する大会であった。この大会、ニョンガボは1500mでの下馬評が高かったが、自ら出場を取りやめた。理由は、ニョンガボと同じブルンジのデュードネ・クイゼラに1500mの出場を譲るためであった。クイゼラはかつては世界のトップアスリートであったにもかかわらず、ブルンジがIOCに加盟していなかったため、ソウルバルセロナとオリンピックに出場できなかった選手であった。ニョンガボは代わりに、それまで2回しか走ったことがない5000mに出場した。この出場競技の交代が功を奏し、ニョンガボは、ラスト1周、1500mのスピードを生かしたスパートで、番狂わせとなる金メダルを獲得した。
アトランタの後、ニョンガボは度重なる故障のため、かつてのような活躍ができなくなる。2000年シドニーオリンピックでは5000mに出場するも、予選で15位と惨敗してしまった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ベヌステ・ニョンガボ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.