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ベネトンB195 (Benetton B195) は、ベネトン・フォーミュラが1995年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。設計者はロス・ブラウンとロリー・バーン。1995年の開幕戦から最終戦まで実戦投入された。 == 概要 == ベネトンが唯一のコンストラクターズチャンピオンを獲得したマシン。基本的な部分は昨年のマシンであるB194を踏襲している。 最大の変更点は1988年のB188以来搭載してきたフォードV8エンジンから、当時の最強エンジンであるルノーV10エンジンにスイッチしたことである。これはベネトンチーム代表のフラビオ・ブリアトーレが買収したリジェから使用権を移転したもので、ライバルのウィリアムズと同スペックのエンジンを獲得した。ミハエル・シューマッハはB195の完成前にリジェのマシンでテストを行い、ルノーエンジンの感触を確かめた。 せりあがるバナナノーズはB192より、湾曲したリヤロアウイングはB194より採用されたものを継続している。サイドポンツーンの段差はB194と同じだが、後部が斜めに削り落とされたようなデザインに変わった。リヤサスペンション上方のボディには大きな1枚の整流板が取り付けられた。また、リアウィングの翼端板を延長して、小型のウィングレットが取り付けられた。 1994年サンマリノグランプリの事故以来、レギュレーションの変更が重ねられており、1995年はエンジン排気量の縮小(3,500ccから3,000cc)、ステップドボトムの導入、リアウィング高の引き下げ(950mmから800mm)などが導入された。第2戦アルゼンチンGP以降は、ラム圧低減のためのエアボックス後方の穴がレギュレーションから廃止された。その影響か、第7戦フランスGPからインダクションボックスの形状が変更されている。以前は正三角形のような形状だったが、若干上下方向に大きさが拡大された。 序盤戦はエンジンを変えた事によってマシンの挙動がナーバスになり、シューマッハがサンマリノGPで単独クラッシュするなど扱いに手を焼いた。しかし、最終的にはシューマッハが9勝、ジョニー・ハーバートが2勝して全17戦中11勝し、シーズンを席巻した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベネトン・B195」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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