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ベノナないしベノナ計画(、ただし一部機関では、VENONA と大文字表記する)は、1943年から1980年までの長期にわたって、アメリカ合衆国とイギリスの情報機関が協力して極秘裏に行ったプロジェクトである。主要任務は当時のソ連が第二次世界大戦後半に発信した暗号文を解読することであった。アメリカ合衆国とイギリスがこの作業に用いたコードネームは少なくとも13あったことが知られている。「ベノナ」はその最後のものである。「ベノナ」の意味は現在も不明。先立っては「JADE」、「BRIDE」、「DRUG」という名が使用されていた。この計画に関連した日本における出版物では、ベノナをヴェノナと表記したり、解読されたファイルを指してベノナファイルと表記されることがある。 極めて高度の機密とされていたが、1995年7月に原爆研究やマンハッタン計画へのソビエトのスパイに関する文書が公開され、さらなる公開で約3000に上る解読文書が公開された〔VENONA National Security Agency Central Security Service〕。 == 概要 == ソ連が一般に採用していた暗号法は、元の文の単語や文字を数字に変換するとともに暗号文解読のための鍵 (ワンタイムパッド法の場合には本文と同じ量になる)を付加する方法であった。 正しい使用法をすれば、ワンタイムパッド法で暗号化された文は決して解読できないことが理論的に知られている。しかし、ソ連関係者の一部が暗号化に際して誤りを犯し、一度使用した鍵を再利用してしまった(一度使用した鍵をただちに廃棄するのがワンタイムパッド法の原則である)。これにより、膨大な通信文の一部、又は文書の一部分に限られたが解読が可能になった。 第二次世界大戦末期の1945年5月に、アメリカ軍情報部がドイツのザクセンおよびシュレースヴィヒでソ連の暗号書を発見した〔NSA VENONA公式サイト VENONA Chronology 〕。これは、ナチスドイツがフィンランドのソ連領事館を制圧した〔1941年6月22日にペツァモ市の領事館。〕際に、半分焼け焦げた暗号書を発見しドイツへ送られたものだった。1944年末フィンランド将校から別の暗号書もアメリカに送られたがOffice of Strategic Servicesがソ連に返還した〔ヘインズ&クレア 2010〕。これがアメリカで活躍するソ連国家保安委員会(当時は内務人民委員部、NKVD)のスパイ網で使用されているものと関連があることがわかった。 また1942年初頭に、ソ連NKVD通信センターは、使い捨て暗号表(ワンタイムパッド)を35,000ページ複製し2組の暗号表を作った。これにより同一暗号で暗号化された通信文が2つあることになった。そのため、アメリカ国家安全保障局(NSA)のメレディス・ガードナーほか優秀な解読者は暗号を破ることができた。 解読は超極秘であったが、イギリス情報局秘密情報部(SIS) のアメリカ駐在連絡代表キム・フィルビーがソ連に情報を流したため、ソ連は解読が実施されていることを知っていた。しかし当時フィルビーはSIS長官候補であったため、彼を温存するためにこの情報を利用しなかったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベノナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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