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ベルグマンMP18短機関銃 : ミニ英和和英辞書
ベルグマンMP18短機関銃[じゅう, つつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

短機関銃 : [たんきかんじゅう]
 (n) submachine gun
: [き, はた]
 (n) loom
機関 : [きかん]
 【名詞】 1. (1) mechanism 2. facility 3. engine 4. (2) agency 5. organisation 6. institution 7. organ 
機関銃 : [きかんじゅう]
 【名詞】 1. machine gun 
: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
: [じゅう, つつ]
 【名詞】 1. gun (barrel) 

ベルグマンMP18短機関銃 ( リダイレクト:MP18 ) : ウィキペディア日本語版
MP18[えむぴー18]

ベルグマンMP18は、第一次世界大戦末期にドイツ帝国で開発された短機関銃である。1918年3月ドイツ軍春季大攻勢用の決戦兵器として製造された。第二次世界大戦頃までに登場した短機関銃の多くはMP18のデザインから強い影響を受けているため、短機関銃の祖形とされる

MP18の出現以前にイタリアビラール・ペロサM1915が開発されているが、連装化され二脚が付き、用途も非力な初期の航空機に搭載される代用軽機関銃として設計されており、後の短機関銃の祖形とは言い難い存在である。
〕。
== 開発の背景 ==
第一次世界大戦で出現し、機関銃鉄条網塹壕を組み合わせて堅固な防御力を示した塹壕陣地は、野砲による砲撃でも容易には破壊できず、歩兵が肉薄して直接制圧しなければならない存在だった。
陣地を防衛する機関銃による弾幕射撃の効果は歩兵にとって巨大な脅威であり、人海戦術による攻撃は効果をもたらさず、いたずらに膨大な犠牲だけが生じるようになった。このため戦闘は膠着状態に陥って長期化し、開戦時には想像もされていなかった国家総動員による総力戦下で国民生活が破壊され、ロシア帝国のように国内の統治を失う国家まで出現した。
従来の歩兵戦術の多くが塹壕陣地の前で陳腐化した結果、航空機戦車毒ガスといったさまざまな新兵器が戦線に投入されたが、これらの新兵器は能力が低く絶対数も足らなかったため戦局を決する決定打とはなりえなかった。
〔当事の航空機は爆撃能力も不十分で有効な地上攻撃の手段がなく、地上からの対空射撃で容易に無力化された。また戦車も対戦車壕や対戦車ライフル・集束手榴弾によって無力化され、毒ガスに対してはガスマスクによる防御が有効だった。

歩兵に機関銃陣地を制圧する能力を与えるべく、迫撃砲手榴弾といった既に廃れていた兵器が近代化されて復活したが、これらの攻撃も塹壕陣地の形状を変更するだけで無力化され、効果は限定的だった。また塹壕陣地の制圧には歩兵による白兵戦が不可欠だったが、そのための手段は銃剣スコップといった中世と大差ない武器しか存在しなかった。
このため、敵陣に肉薄した歩兵が機関銃に対抗できるだけの弾幕を容易に構成して敵の塹壕内を掃射して制圧できる兵器への要望が高まり、自動小銃や短機関銃といった軽量自動火器の出現が促された。
日露戦争で機関銃の威力と塹壕陣地の防御力の高さを実体験していたロシア軍は、最初期の自動小銃(後の分類では突撃銃にあたる)であるフェドロフM1916を採用し、塹壕陣地突破のための浸透戦術を考案しており、当時の欧州では最先端の装備と知識を有していた。

他方では、塹壕戦を研究した後に参戦した米軍が、銃剣付きのウィンチェスターM1897散弾銃と、セミオート・ピストル弾カービン装置とでも呼ぶべきピダーセン・デバイスを採用したほか、後の自動火器に大きな影響を与えたブローニングM1918自動小銃(BAR)の装備が進められつつあった。

1917年の債務不履行を恐れたアメリカルシタニア号事件ツィンメルマン電報大義名分として連合国側に参戦した事から、決定的に劣勢となったドイツ帝国が長期戦の負担に耐えかねて崩壊する事を恐れたドイツ軍参謀本部は、戦争の早期決着を目指してロシア革命政権との和平で転用可能となった東部戦線の兵力を投入した攻勢を計画した。

ファイル:Armia Niemiecka Front Zachodni 1918.jpg|ドイツ軍の塹壕陣地に設置されたMG08と要員達

この攻勢で核となるのは敵の塹壕線の脆弱点に歩兵の攻撃を集中させて突破し後方へ侵入して敵の一線陣地を孤立化させて攻略する浸透戦術であり、これを実行するための専門部隊として突撃歩兵(Stoßtruppen)の編成が行われた。この部隊では敵陣へ向けて疾走できる脚力を持つ若者が集められ、その兵器としては手榴弾に加えて“軽量機関銃”が必要とされた。
塹壕戦の需要に応え得る“軽量機関銃”の開発は、1915年から行われていた。
当初は自動式拳銃をフルオートで射撃できるよう改造したマシン・ピストルや、62kgもあったMG08重機関銃を18kgまで軽量化して3名で携帯可能としたMG08/15などが検討されたが、いずれも能力・重量において不適格と判断され、1917年になっても“軽量機関銃”プランは実現していなかった。
攻勢を前にして“軽量機関銃”を実用化する必要に迫られたドイツ帝国軍では、前述のMG08/15をさらに軽量化したMG08/18を製造するとともに、簡易な構造で拳銃弾をフルオート射撃できる銃器を考案した。
これは当時は同種の火器が存在しない全く新しいジャンルの兵器であったが、MG08/18による牽制射撃の援護の下に突撃歩兵が敵陣まで疾走して肉薄すれば、短い射程の拳銃弾でも充分な制圧火力が発揮でき、手榴弾の投擲と合わせれば確実に敵の機関銃を制圧できる事が想定された。また同時に、単純な構造であれば、攻勢に間に合うだけの短期間で製造できる事が期待された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「MP18」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 MP 18 」があります。




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