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ベルタ・フォン・ズルツバッハ : ミニ英和和英辞書
ベルタ・フォン・ズルツバッハ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ベルタ・フォン・ズルツバッハ : ウィキペディア日本語版
ベルタ・フォン・ズルツバッハ
ベルタ・フォン・ズルツバッハ(Berta von Sulzbach, 1110年代 - 1159年)は、東ローマ帝国皇帝マヌエル1世コムネノスの皇后。ギリシャ名エイレーネー(Eirene)。
ズルツバッハ伯ベレンガル2世と妻アデライデ・フォン・ヴォルフラトシュハウゼンの次女。兄はゲブハルド3世、姉は神聖ローマ皇帝コンラート3世の皇后ゲルトルート。
シチリアルッジェーロ2世と対抗するため、皇帝ヨハネス2世コムネノスドイツの神聖ローマ皇帝コンラート3世の元へ大使を派遣した。同盟のしるしとして、コンラート3世の縁者の姫を息子の配偶者にしたいと打診されたため、皇后ゲルトルードの妹ベルタを推薦した。婚約が整い、ベルタはヴュルツブルク大司教に伴われてコンスタンティノープルへ出発した。
ベルタがコンスタンティノープルへ到着した時に、既にヨハネス2世コムネノスは逝去し、婚約者マヌエル1世コムネノスが既に即位していた。マヌエルは3年もの間ずるずると結婚を延期させたすえ、1146年に結婚した。
皇后エイレーネーと呼ばれた彼女は、テッサロニキ大司教にその穏やかさを褒め称えられた。歴史家ニケタス・コニアテスは、彼女が顔にフェイスペイントを施さなかったと記している。二人の間には娘が二人生まれ、長女マリアはモンフェラート公子ラニエリの夫人となった。
1159年にベルタは亡くなった。彼女の死に悲嘆にくれたマヌエルは、「ライオンのように泣きわめいた」という。彼は2年後の1161年に、後添えとしてアンティオキア公女マリーを迎えた。
category:東ローマ皇后
category:ドイツ史の人物


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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