翻訳と辞書 |
ベルナト・エチェパレ
ベルナト・エチェパレ(Bernat Etxepare, , 1470年から1480年代半ば頃 – 没年不詳)は、ナバーラ王国領バハ・ナバーラのドニバネ・ガラシ(サン=ジャン=ピエ=ド=ポル)近郊に生まれ、16世紀前半にバスク地方で活動した司祭・著作家(詩人)。1545年、「バスク語よ、世界に出でよ」という言葉とともに、バスク語で書かれた書籍を初めて出版した人物として知られる〔下宮(1991)、p.34〕〔萩尾ほか訳(2014)、p.8〕。 == 名前 == 彼はナバーラ王国領に生まれたが、居住地は彼の存命中にフランス王国の支配下に入った。バスク語での名はBernat(ベルナト)またはBenãt(ベニャト)であり、フランス語でBernard(ベルナール)と表記されることもある。現代バスク語での姓はEtxepare(エチェパレ)だが、バスク語でDetxepare(デチェパレ)、スペイン語でDechepare(デチェパレ)と表記することもあり、いずれもフランス語のD’echepareに基づく綴りである。彼自身はBernat Dechepareという表記を使用した。『バスク初文集』だけを見ても、タイトルとともに記されたBernard Dechepare(ベルナルド・デチェパレ)、序文に記されたbernard echepare(ベルナール・エチェパレ)、作品中の詩におけるBernat echapare(ベルナト・エチャパレ)と3種類の表記が混在している〔萩尾ほか訳(2014)、p.140〕。これらの理由により、ベルナト・エチェパレ、ベルナト・デチェパレなど、日本語表記も定まっていない〔堀田(1975)は「ベルナト・エチェパレ」、下宮(1979)は「ベルナト・デチェパレ」、萩尾ほか訳(2014)は「ベルナト・エチェパレ」という表記を採用している。〕。一般的にバスク語のEtxeは「家」を、-pareは「組」「対」を表すが、エチェパレの姓はEtxekopareまたはEtxegapare「高位の家」から派生したとされている〔萩尾ほか訳(2014)、pp.142-144〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベルナト・エチェパレ」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|