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ベルナドッテ家 ( リダイレクト:ベルナドッテ王朝 ) : ウィキペディア日本語版
ベルナドッテ王朝[べるなどっておうちょう]

ベルナドッテ王朝スウェーデン語: )は、1818年から現在まで続くスウェーデン王朝である。ポンテコルヴォ王朝とも呼ばれる。
スウェーデンのホルシュタイン=ゴットルプ王朝カール13世(在位:1809年 - 1818年)には世継ぎが生まれなかったため、スウェーデン国民議会は、当時ヨーロッパの覇権を握っていたナポレオン・ボナパルト配下の将軍ジャン=バティスト・ベルナドットスウェーデン語名ベルナドッテ)を王位後継者に推戴した。ベルナドットは南フランスベアルンポー出身で兵卒として軍に入り士官へと昇進し、さらにフランス革命後の動乱の中でフランス元帥ポンテコルヴォ公爵にまで出世していた。ポンテコルヴォ王朝の名はこの時期の称号に由来する。
1810年、カール13世の養子としてカール・ヨハンと改名し、スウェーデン王太子摂政となったベルナドットは1813年ロシアプロイセン、スウェーデン連合軍を指揮してライプツィヒの戦い解放戦争)でナポレオン軍を撃破し、1814年キール条約デンマークからノルウェーを割譲させた。同年のモス条約sv)の締結により、両国は連合王国となった。ノルウェーとの同君連合1905年まで続いた。1818年にカール13世が死去するとカール・ヨハン(ベルナドッテ)はカール14世ヨハンとしてスウェーデン国王(兼ノルウェー国王)に即位し、現在まで続くベルナドッテ王朝を開いた。即位までの経緯からしてスウェーデンとは何の係累も無い家系であったが、グスタフ5世の王妃ヴィクトリアから前王家の血を引いている。
スウェーデンは以後、19世紀中頃の汎スカンディナヴィア主義を経て、武装中立を揚げ現在に至る。第一次世界大戦第二次世界大戦とも中立を維持した。
1979年、スウェーデン憲法改正により、カール16世グスタフ現国王はすべての政治権力を喪失してスウェーデンの儀礼的国家元首となった。1980年、スウェーデン王位継承法の改正により、それまでの男子継承から、男女を問わず出生順に王位継承権が生じることになったため、長女のヴィクトリア王女が王位継承者となっている。
== 歴代国王 ==

* カール14世ヨハン (在位1818年 - 1844年、兼ノルウェー王カール3世)
* オスカル1世 (1844年 - 1859年、兼ノルウェー王)
* カール15世 (1859年 - 1872年、兼ノルウェー王カール4世)
* オスカル2世 (1872年 - 1907年、兼ノルウェー王 - 1905年)
* グスタフ5世 (1907年 - 1950年)
* グスタフ6世アドルフ (1950年 - 1973年)
* カール16世グスタフ (1973年 - 現在)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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