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ベルナール・ダルニッシュ : ミニ英和和英辞書
ベルナール・ダルニッシュ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ベルナール・ダルニッシュ : ウィキペディア日本語版
ベルナール・ダルニッシュ[ちょうおん]

ベルナール・ダルニッシュBernard Darniche 、1942年3月28日 - )はフランスの元ラリードライバー、元レースドライバーランチア・ストラトスを駆り、1976年1977年ヨーロッパ・ラリー選手権1976年1978年フランス・ラリー選手権を制覇した。また「ターマックのスペシャリスト」としてツール・ド・コルスも6回制し(19701975、1977、1978、1979及び1981年)、この偉業は後に並んだディディエ・オリオールとともに最多勝記録である。
==経歴==

1967年ラリーにデビューしたダルニッシュは、1970年アルピーヌ・ルノーワークスドライバーとなり、1972年フランス・ラリー選手権を初制覇。1973年に新設された世界ラリー選手権大会に参戦し、第16回ラリー・モロッコに優勝、第44回アルペン・ラリーで2位となり、アルピーヌ・ルノーのコンストラクターズタイトル獲得に貢献した。1977年に創設された FIA カップ・ラリードライバーズ選手権では3位となり、3年連続してドライバーズ選手権でトップ10入りを果たした。またこの間、ルノーを離れるとWRCにおいては1974年のコルスより1978年までフィアットランチアワークス、フランス国内ディーラーによる有力プライベーター「シャルドネ」チームと渡り歩きながらフィアット・124アバルトラリー、ランチア・ストラトス、フィアット・131アバルトとフランス国内中心の活動に留まるも、最終的には1979年よりシャルドネへ留まり1975、1977、1979、1980年の4回、ランチア・ストラトスでツールド・フランス・オートモビルで優勝している。ル・マン24時間レースにも出場し、1978年ロンドー M378 で総合9位( GTP クラス優勝)、1979年にはロンドー M379 で5位となった。
1979年ラリー・モンテカルロでは、年頭のツールドコルス前よりワークスチームと協力体制を敷いた〔過程として、ランチアワークスは親会社フィアットの意向とレギュレーション改正でのユニット単位でのパフォーマンスダウンに抗うかの如く充分な支援を得られない中での苦肉の策として、79年レギュレーションに適合する世代前パワーユニット(4バルブ→2バルブエンジン)チューンをワークスエンジニアであるクラウディオ・マリオーリに依頼し、ピレリの試作タイヤ支援もコルスに間に合う形で功を制した事がこのシーズン2勝の確信に繋がる。〕チーム・シャルドネのランチア・ストラトスで劇的な逆転優勝を遂げた。支給された粗悪ガソリンによるキャブレーション不良〔元々彼の駆るストラトスはピーキーなエンジン。当然トラブルシュート中により原因がはっきりするまで7000回転付近まで回転数を抑えつつ走っていた。この為、フィアット勢は抑えられてもフォード勢には苦戦していた。〕に悩まされ、6分27秒遅れの6位で最終日を迎えたダルニッシュは、マリオーリの徹夜による燃料系(キャブレター含む)調整作業によりトラブルを克服。回せなかったエンジンも全開で回せるようになり10 の SS 全てでトップタイムを叩き出し、最終 SS チュリニ峠で首位のフォード・エスコート 1800ビョルン・ワルデガルドを6秒差で逆転した。〔なおワルデガルドには最終 SS で観客が置いた岩を除けるため30秒余りを失うトラブルがあった。- 〕。彼は標高1,600メートルのアルプスの雪と氷の峠道で通常夜間行われていた難所、チュリニ峠ステージの最多勝利記録を保持している。いわゆる「長いナイフの夜」〔夜の闇を切り裂くハイビームの光からこのように呼ばれた。〕で、ダルニッシュは 10 のイベントに勝利した。
その後もWRCでは1987年まで唯一得意とするコルスとモンテカルロでスポット参戦しており、シャルドネでランチア・037ラリー、プライベーターとしてワークスで一時的に各車の手ごたえを掴んではアウディ・クワトロプジョー・205ターボ16メルセデス・ベンツ 190E等で参戦していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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