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ベルナール・ダルマニャック : ミニ英和和英辞書
ベルナール・ダルマニャック[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ベルナール・ダルマニャック ( リダイレクト:ベルナール7世 (アルマニャック伯) ) : ウィキペディア日本語版
ベルナール7世 (アルマニャック伯)[べるなーる7せい]
ベルナール7世Bernard VII d'Armagnac, ? - 1418年6月12日)は、百年戦争期のフランスの貴族、軍人。アルマニャック伯。フランス王国大元帥。
== 生涯 ==
1407年オルレアン公ルイブルゴーニュ公ジャン(無畏公)に暗殺されると、ルイの長子シャルルを筆頭とするオルレアン派とジャン無畏公を筆頭とするブルゴーニュ派の内乱は激化した。ベルナール7世は1410年に娘ボンヌをシャルルと結婚させ、シャルルの舅としてブルゴーニュ派と戦った。そのため、オルレアン派はアルマニャック派とも呼ばれる。
同年4月、オルレアン公シャルル、ブルターニュ公ジャン5世、アルマニャック伯ベルナール7世、クレルモン伯シャルル、アランソン伯ジャン1世の間でジアン同盟が結成された。この同盟はブルゴーニュ公やイングランドヘンリー5世に対する政治的・軍事的同盟であった。ベルナール7世はブルゴーニュ派との内乱において活躍し、1413年にはブルゴーニュ公に協力的であった食肉商シモン・カボシュ率いるカボシャン党の占拠するパリを攻め、カボシャン党の蜂起を鎮圧した。こうしてパリはアルマニャック派の支配するところとなった。
1415年アジャンクールの戦いでオルレアン公シャルルがイングランドの捕虜となると、ベルナール7世はアルマニャック派の筆頭としてパリで独裁を行うようになったため、1418年6月12日、アルマニャック派の支配に不満を持つパリ市民に殺害された。
その後、パリはブルゴーニュ派に制圧され、再びブルゴーニュ派の支配するところとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ベルナール7世 (アルマニャック伯)」の詳細全文を読む




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